夜だった。
 視界が翳み、血に塗れた毛はしっとりと重く、冷たい夜風が吹く度に体温を奪っていく。
 はぁはぁと繰り返される血色の呼吸は、酸素を取り入れるどころか残っている命を吐き出しているようだった。
 
 ざっ、と、視界に何かが入る。
 疑問を抱くより早く、声が一緒に降ってきた。


「死ぬの?」


 よく響くボーイソプラノの声。
 痛みではなく熱さしか感じない重い頭を僅かに動かして、視線を上に向ける。
 青年が一人立っていた。
 

「あんた、死ぬの?」


 それを憐れんでいるのでも哀しんでいるのでも無いどこか面倒臭げな問いかけ。
 突然現れた青年は、覗き込み、片方だけ長い髪を揺らして首を傾げる。


「死にたくないわけ?」


 死にたくない。
 当たり前だ。
 生きたい。
 まだ
 死にたくない。
 こんなところで。


「ふ〜ん」


 胡乱気に鼻から声を出した青年が屈む。
 身体が、持ち上げられた。

 生きたい。
 死にたくない。

 血反吐交じりの呼吸を繰り返しながら、
 そう繰り返した。



―――――



 カランカラン・・・
 扉が開き、吊るされているベルが来訪者を告げる。
 薄寂れた店内のカウンターの奥で指定席に座り、本を読んでいたこの店の主は「いらっしゃい」といつものように声をかけようとして―――硬直する。
 ぼんやりとした蛍光灯の明かりに照らされて、来訪者は腕に抱いたものを軽く持ち上げ主張して、ただ一言「拾ったんだけど」と言った。
 片方だけ不自然に長い青緑色の髪と、血色の瞳を持つ青年――カーラだ。
 カーラのその言葉に、硬直していた主はバネ仕掛けのオモチャのように椅子から立ち上がり、その拍子に落ちた本に見向きもせずカウンターに乗り出した。


「ひ、拾ったじゃなーいっ!!!!け、怪我、怪我してるじゃん動かしたらヤバイんじゃ!!?」
「知らないしそんなの。ってゆーかさぁあんた創造主でしょ治せよ」
「名前知らない子は自由に出来ないって説明したよねぇええ!!?」


 顔を真っ青にして叫びながら、主こと目の前にいる青年、カーラを含む数多の者たちと世界を創造した創造主であるところの少女、柳乃朋美は慌ててカウンターから出てカーラの抱いているモノ・・・血まみれの黒猫に近づいた。


「ど、どうす、どうしよ・・・!!」
「名前つければ良いじゃん。」
「だってこの子名前持ってるっぽい・・・!!!」
「じゃあ聞けば?」
「あ、そっか。」


 カーラの滅茶苦茶なアドバイスに、しかしポンと手を打ち創造主は自分の耳に軽く触れ――


「猫、猫ちゃーん、聞こえる?名前言える?」


 大真面目に問いかけた。
 ぜぇ、ぜぇと浅い呼吸を繰り返す猫は、金の瞳でちらりと朋美を見つめ、


「に・・ぁ・・」


 弱弱しくそう鳴いた。
 それを聞いた創造主は、小さく頷いて


「こくよう・・・あんたの名前は黒曜ね。」


 そう確かめるように呟いた。
 

「わかんの?」
「創造主だから。」


 カーラの問いに短くそう返し、創造主はその手を猫にかざす。
 短く一言、強く命じる。


「治れ。」


 刹那、淡い光が猫の身体を包む。
 しばらく留まっていた光が霧散したころ、忙しなかった黒猫の呼吸が落ち着き、生に縋り付くようにして見開かれていたその瞼が下ろされた。
 カーラが「治ったの?」と問えば、「一応」という安堵の息混じりの声が返ってくる。
 その曖昧な表現に眉根を寄せたカーラに、朋美は痛みでも堪えるように顔を顰め、続ける。


「影響力が薄かったから痕とか残るかも。頭、ぐちゃぐちゃだったから。」


 まぁ、毛でそんなに目立たないだろうけどと肩を竦め、脱力したように創造主は手近にあった椅子に腰を下ろした。
 そして、しげしげと猫を見るカーラを見上げ、頬杖をつく。


「で、どうすんのその猫ちゃん。」
「さぁ」
「って、待て、さぁってなんださぁって。拾ったのお前だろーが。」
「死にたくなさそうだから連れてきただけだし。」


 あっさりと言われて思わず朋美は絶句する。死にたくなさそうな命を拾ったというのは、通常のカーラの性格からは考え難いことだった。
 が、まぁ、嘘を言う理由も無い。ならば本当にただの気まぐれだったのだろうと肩を竦めてから朋美はカーラの腕の中で眠る猫――黒曜をちらと見て、「それじゃあ」と呟く。


「その子、此処に住まわせようか。」


 人間の姿と、力を与えて。
 言って笑った創造主に、カーラは面白そうに笑い返したのだった。