Verita
〜真〜





 何をするでもない。ただついつい早く起きてしまって、天音は『鎖神』本拠地の豪邸にある自室から、食堂へと向かった。
 既に太陽は地平線から顔を出している。寝起きであるためか、油断して窓の外に目をやれば思わず目を瞑ってしまうほどの明るさだ。天音は極力窓の外を見ないようにして階段を軽快に下りていった。原色の赤い髪がそれに合わせて眩しく揺れる。両手はつなぎのスカートのポケットに突っ込んだ。
 同じテンポで階段を下りて、三階から一階に降り立つ。そのまま左に進めば豪邸の食堂である。迷うことなく足を食堂に向けて、天音は両手をポケットから出し、大きな扉を両手で開いた。特に力を加えるまでもなく開いた扉から中に入って、天音は真っ直ぐに調理場へと歩を進める。
 調理場へはあまり行ったことは無いが、『鎖神』に入ったばかりの頃、現場指揮官の(はちす)に案内してもらったので勝手は分かっている。適当にサンドウィッチでも作れる調理器具の場所は覚えているはずだ。……調理担当の袴乃香、カオス、ライアンが器具を動かしていなければ、の話だが。
 鼻歌なんぞ適当に選曲して歌ったりして、天音は巨大な冷蔵庫へと進む。もうこれは業務用だと言っても過言ではないだろう。
 冷蔵庫を開けて、サンドウィッチの材料になりそうな品物を物色する。ハムにトマト、キュウリは絶対だ。あとマヨネーズ。
 取り出して腕に抱えながら、他に何か無いか隅から隅まで見渡して―――


「天音ちー、早速朝食? 太るよ?」
「は!?」


 ―――いきなりの声に思わず狼狽する。確かに気配は感じなかった。裏組織で殺しなんかをやっていた天音でさえ気付くことが出来ないほどの実力の持ち主は、真佳くらいのものだ。けれど声の主が真佳であるはずがない。声が少年の声であったし、何より真佳は朝に極端に弱いからだ(時折早く起きてくることはあるが)。
 天音は慌てて振り返りつつ食料を抱えたまま背を冷蔵庫に預ける。それと同時にキッと声の主を睨み付けた。


「あ、警戒させちゃった? ごめん、ごめん。そこまで驚くとは思わなかったからさ〜」


 子どものような笑みを浮かべる茶髪茶色目の少年に天音は目を瞬かせる。頭に被ったサンバイザー、黄緑色の袖なしパーカーに白のタンクトップ、そしてジーンズ。秋も後半になってきているというのに、その格好に思わず自分が身震いしてしまった。
 春日部(しん)。確か『鎖神』の『緑柱石』に属している十六歳の少年だ。青翅、界磁と同じ世界の住人で、自在師では無いものの何故か戦闘は強いらしい。真佳のように幼い頃から祖母に鍛えられていたのでは無いはずだが。
 瞬時にそれだけの情報を引っ張り出して天音は息を吐く。『鎖神』メンバーならば警戒する必要は無い。
 数多の世界を創造した女神、月村佐奈。彼女をいくら軽くあしらおうと、誰も彼女に逆らったりましてや彼女を裏切ったりする者は佐奈の子どもらの中にはいない。無論、天音や慎も含めて。


「それは、まぁええわ。うちの修行が足らんかっただけやし」
「それは俺が特別なだけだって」
「あー、そらそやろねー」


 冗談気味に言った慎を、天音は軽く流した。慎が「厳しいな〜、天音ちんは」とこれまた軽く返しているのを耳に聞き、天音は材料を調理台の上に置いて食パンのミミを切り落とした。


「それより、何で『緑柱石』のあんたが任務でも無いのに本拠地(ここ)におるん?」


 本拠地に友達がいるなら遊びに来ているのも分かるが、青翅も界磁も慎と同じ『緑柱石』であるためこの豪邸には住んでいない。恐らく彼らは仕事でもこなしているのだろう。


「あれ、知らなかった? 天音ちーとは佐奈ちゃんに『鎖神』メンバーの紹介されてから上手い具合にすれ違ってたけど、俺、よくここに来てたよ?」


 キョトンとしている慎に、天音も目を瞬かせる。思わず食パンをレンジに入れようとしていた手が止まってしまっていた。


「知らないかー。なかっちや由理みん、楓ちゃんに(くう)りょん、ライライにも会ったことあるんだけどな〜」


 ……“ライライ”、というのは恐らくライアンのことだろう。フィーやカオスに会わなかったのは、彼らが訓練所や図書室に入り浸っていたからだろうか。画くいう天音も射的所に篭ったり外出したりですれ違っていたのだろうが。
 天音は一つ辟易と息を吐いて、食パンをレンジにいれて加熱を始めた。それから慎に向き合って口を開く。


「…つぅか、そんだけ遊びに来とるんやったら何で『柘榴石』やのぉて『緑柱石』選んだん」
「青翅りんとじぃじが仕事で忙しそうで、俺は暇で暇で。だから遊びにくるわけ。でも忙しすぎるのも好きじゃないから『柘榴石』は外した」
「撃ったろーか、このお気楽人間」
「あはは。天音ちー、目が本気だよ?」


 低血圧であるから、天音は朝から高テンションで話すことが出来ないのだ。調理場が東にあるせいか、太陽の光が惜しげもなく部屋に光を運ぶので眩しさのために目を瞑る必要は無くなったが、脳がまだ起きていなかった。


「……まぁ兎に角、うちは早く朝ごはん食べて布団入ってくるわ。冷蔵庫のモンつまみ食いしたらあかんで」
「あ…、バレてた?」
「調理場におる時点で誰でも分かるやろ」


 有希以外は、と心の中で付け加えて天音は加熱終了の音を鳴らしたレンジから食パンを取り出した。香ばしい匂いが嗅覚を刺激する。


「天音ちーノリ悪いなぁ。俺といるのつまんない?」
「低血圧なだけです〜。うちはおもろいことが好きで暇なことが嫌いやから、つまらんかったら話さへん」


 そう言えば、大抵の人間は天音のことをドライだとか言う。が、協調性が無い人間ばかり集まっているのか『柘榴石』にはそんな感想を漏らす者はいなかった。


「自分のやりたいようにしたら俺も天音ちーと同じこと言うんだろうなー。人と話しててつまんないとか思ったことないけど」
「そりゃ幸せモンやねぇ」


 食パンにハムやトマトをトッピングしながら天音が相槌を打った。
 恐らく、天音自身も幸せ者なんだろうと思う。
 どんな状況になっても、天音は一人にならなかった。幼い頃から旅に出るまで孤独だったアーティとは違う。他人に同情なんてする気は無いが、そう思うことで自分は他人よりマシだと考えることが出来る。それを天音はよく知っていた。


「まぁ、そうかも。青翅ちんが自在師になっちゃってても、これから思い出作ればいいんだし」


 自在師。それは慎たちの世界で、主に軍部内で高い権力を持つ者。特権も多々与えられる代わりに、自在師になるにはある代価を支払わねばならない。
 ―――自在師になることを求める者の、過去の記憶だ。
 故に自在師は自分の名を持たず、自己を表すときは仕事名で呼ばれる。勿論苗字などあるはずもない。
 慎は確か青翅とは幼馴染だったか。親しかった者が記憶を失くしたと聞かされたとき、人はどう思うのだろう。真実は体験した者にしか、分からないだろうけれど。


「前向きやなぁ」
「っていうか無理に前向きに考えてるだけ。本当は俺、すっげーネガティブ思考だよ?」
「それ言っても殆どの人は信じへんやろ」
「不思議と」


 頷きながら言った慎に、天音は薄く微笑う。
 真の幸とは何だろう。真の不幸とは何だろう。
 恐らく、自分が幸せであるということを感じられなくなったとき、人は本当に不幸になるのだろう。
 天音は思って、出来上がったばかりのサンドウィッチを一口齧った。
執筆:2006/11/04



DATE
name:青翅
Home:『Turquoise』より参戦
birthday:1/16
age:16
sex:女
attribute:自在師
things:イヤリング
    自在師の証であるバッチ