My name is





『―――ッ――ッ!!!』


 誰かが叫んでる。
 はっきりしない酩酊感の中に漂いながら、俺はそれを聞いた。
 言い争うような怒鳴り声。
 耳を澄ませば、だんだんとそれは明確になっていき―――――――


『―――――んたがいるからッ!!』
『―――――れに近寄るなッ!!』

「あっ」


 引き攣ったような声が喉の奥から絞り出て……俺は耳を塞ぐ。
 ああ、この声は、
 あの人たちの声だ。


『ちがう、違うわ、私の子の筈が無い――――そのッ、気味の悪い、髪ッ!!』
『こっちを見るなッ!!何も喋るなッ!!部屋から出てくるなッ!!』


 俺を……生んでくれた、あの、二人。
 俺を産んだせいで、壊れてしまった人たち。

 嫌だな
 見たくない、聞きたくないよ

 
「ごめん……なさい」


 産まれてきて、ごめんなさい。
 こんな力(・・・・)を持ってしまってごめんなさい。
 何度でも謝るから
 許してなんて言わないから
 もう一度抱きしめて欲しいなんて、そんなこと言わないから。

 もう―――――――眠ってよ。

 ねぇ、どうしてまだ苦しんでるの?
 どうして?
 だって二人は
 眠ったはずなのに
 あの日
 俺が


殺しちゃったはずなのに


 何でかな
 どうしてまだ苦しいのかな
 もう一回、眠らせないといけないのかな。
 そうしたらあなたたちは、 
 苦しいのから解放される?



【やア】



 ……誰?
 
 闇の中に光が降る。
 どこかで聞いたことのある声がする。


【ボクがキミを引き取ることにしたヨ】


 ひきとる?一緒に暮らすの?
 どこかで聞いたことのある台詞に、言ったことのある台詞。


【そうだヨ】


 でも、そしたらおにいさんも壊れちゃうよ……?
 あの二人みたいに、
 きっと、壊れちゃうよ。


【大丈夫だヨ】


 どうして?
 拙い問いかけに、彼はにっこりと微笑み言った。



【――――ボクはもう壊れているかラ(Oneself is already broken)。】



 …………おにいさんはだぁれ?
 二度目の問いに、彼は口を逆さ三日月の形に吊り上げたまま返した。


【人の名前を聞くときハ、自分から名乗るものだヨ】


 あ、そっか。
 あれ?でも……
 俺の名前…………
 何だっけ。


【まさカ、忘れたのかイ?】


 ……うん、誰も呼んでくれないから、
 忘れちゃった。
 彼の顔がら笑みが消える。
 眇められた瞳は不快気にも見えて、
 
 怒ったのかな? 怒られるのかな?

 不安になって、その綺麗な顔を窺う。
 【じゃア】と、彼は口を開いた。


【いつもは何て呼ばれていたんだイ?】


 いつも?
 あの二人に?
 そう、二人はいつも―――――――


『化け物』


 そう、『化け物』って、呼んでた。
 いつからかな、いつからだろう。
 もしかしたら、それが名前なのかな?


【あァ、そうかもしれないネ。でもそれじゃァ呼びにくいナ】


 ?
 彼は顎に手を添えて、何かを思案し始める。
 やがて、何かを思いついたらしくポンと手を打った。


【そうダ、それじゃァ、ボクがキミに名前をつけよウ】


 え?


【言っただろウ? ボクはキミを引き取ったんダ。つまり(In other words)キミは(you are)ボクのモノ(my possession)。名前をつける権利はあるだろウ?】


 え、でも……
 名前?
 俺の?


【そうだヨ。……うーん、何がイイかナ。】


 俺の……名前……?


【よシ、キミの名前は『Luke』にしよウ】


 ……ルカ?


【そウ。音が綺麗だろウ?……あァ、キミはJapaneseだから、どうせなら和名も欲しいナ】


 ……和名?


【それじゃァ、『瑠華』なんてどうだイ?『瑠璃の華』で瑠華。キミの髪にピッタリだろウ?】


 俺の、髪、に?


【あァ。綺麗なDark blueダ。そういう色ヲ、Japanでは『瑠璃色』と言うだろウ?】


 綺麗? この、髪が?
 だってこれは、化け物の証で……


【へェ、そうなのかイ?
……あァ、だからかも知れないネ、その髪がそんなにも綺麗なのハ。他人とは違う証……とても綺麗な色ダ(very clean color)。】


 言いながら頭を撫でられて、
 その時(・・・)、初めてこの髪が好きになった。


キミの名前はルカだヨ(Your name is Luke)。】


 ルカ。
 俺の名前は……ルカ


【そうだよルカ。ボクの可愛い養い子(adopted child)サン。】


にっこりと、彼は俺の名前を呼んで微笑んだ。


 ルカ
 瑠華
 俺の、名前。


ねぇ、おにいさんの名前は?


 その問いに、
 彼は静かに瞳を眇めて、答えた。


【ボクの名前ハ―――――――】






「シオン?」


 少し擦れたアルトの声が耳に聞こえた。
 焦点の合わない瞳を瞬いて、そしてようやく、今のが自分の声であったと気づく。
 そして今のが夢であったことにも。

 それはずっと昔。
 俺にとっての、始まりの記憶。


『やァ、お早う(Good morning)ルカ。』


 いつもなら聞こえる声がなくて、
 ようやくはっきりとしてきた視界に映る見覚えの無い天井に戸惑い―――――――ここがどこかを思い出した。
 
 ここは、そう、『天支』の、本拠地の、屋敷の、一室。
 昨日女神にあてがわれた、俺の、新しい住処。

 シオンはいない。

 彼はお仕事があるから、この世界には住まないんだ。
 彼は俺たちの世界にいる。ここにはいない。
 
 俺の仕事は全部シオンを介して来るから、事務所がかわっても問題は無い。それに、偶に命を狙われることとかを考えれば、こちらに住居を変えるのはプラスにはなってもマイナスにはならない。
 だからこれでいい。彼もそう言った。
 わかってる。けど……


「シオン……」


 いないんだ。
 一人なのかな。
 誰もいないのかな。

 また
 一人なのかな……?

コンコン


「――――? どうぞ!」


 外側から叩かれた扉に、俺は戸惑いつつも、ここに敵が来ることは絶対にありえ無いと言われていたから促した。
 静かに、開かれたそこに覗いたのは藍色。
 俺の髪よりもずっとずっと深くて綺麗なその色に、思わず見入った。
 だけど、
 それ以上に。


「よ。お早う、ルカ。」


 既視感(デジャ・ビュ)
 
 まとう雰囲気も体格も声も瞳も何もかも違うけど。
 それはあんまりにも、
 欲しかった言葉に似ていて。

 目を、見開いた。


「……? どうした?」
「っえ、う、ううん!なんでもない!」


 一瞬。
 シオンがそこに立っているのかと思った。
 だけど落ち着いて見てみれば、そこにいるのはやっぱりシオンとは全然似ても似つかない人で。
 長い藍の髪を一つにくくった、派手な着物を着た大きい男の人で。
 だけど黒い瞳は深く深く澄んでいて。
 ……ああ、この人はイイ人だ。
 そう思った。

 けど、誰だろう?
 首を傾げれば、疑問を読んだように男が口を開いた。


「俺は楽羅。氏は無い。よろしくな。あんたの名前はルカであってた……よな?」
「あ!違うの、朋美がここでは瑠華って……和名を名乗れって言ってたんだ。」


 確か、『鎖神』っていう組織にも俺と同じ名前の人がいて、区別しやすいようにだって言ってた。その人も苗字が無いとか。


「そうか。なんて書くんだ?」
「………………る……『瑠璃の華』で、瑠華。」


 ちょっと間が開いたのはしょうがないと思う。
 だって、字を言ったらみんな『女の子みたいだ』って笑うんだもん。
 絶対、シオンってばわざとだ。
 
 ……この人にも、笑われるかな……?

 少し身構えて様子を窺うと、楽羅は『へぇ』と感心でもするみたいに呟いて―――――予想とは全然違う、どこか明け透けで、鮮やかな笑顔を浮かべた。


「綺麗な名前だな。あんたの髪によく似合ってる。」
『キミの髪にピッタリだろウ?』


 また、楽羅とシオンが重なって見えた。
 ――――不思議な人だなぁ……
 ふと、そう思った。


「それじゃあ瑠華。朝食が出来たんで呼びに来たんだが、良ければ俺達と一緒に食べないか?」
「俺『達』?」
「あぁ」


 頷いて、どこか得意げに、とても大切な宝物を自慢する子供のように、何か愛しいものを見るみたいに、
 微笑み、楽羅は続けた。


「俺や瑠華と同じ『天支』のメンバーで……あんたの、仲間達だ。」
「……俺の?」


 俺の……仲間。
 シオン以外の、仲間。

 ベッドから降りて立ち上がり、足首まで沈みそうな絨毯を横断して、楽羅を見上げ『ねぇ』と問う。


「俺は独りじゃないの?」
「一人がいいのか?」


 逆に問い返されて、ふるふると首を左右に振った。


「一人は……嫌だ。」
「それなら、一人じゃない。」

 
 優しく目元で微笑んで、楽羅は俺に手を差し出した。


「ようこそ。瑠華。ここ()あんたの居場所だ。」


 ここも
 シオンも
 あの世界も
 俺の―――――――居場所?
 俺が、存在しても、許される場所……?


「……うん。」


 そっか。
 一人じゃないのか。
 …………そっか。


「うん!」


 その手をとってようやく、
 俺は『天支』の一員になれたような、そんな気がした。








++++余談++++

「やーっぱ楽羅っちに行かせて正解だったみたいだね。」
「うんうん。ナイーブな子供の扱いは楽羅っちの十八番だものね!!」
「月留さんが言っても問題なかったとは思いますけど……ルーンさんが行ったら絶対怖がらせちゃいますもんね。」
「ちょ!桜花ちゃん!!?それどーゆー意味よ!!」
「貴様ら……朝から何をやっている……?」
「「覗き見」」
「……」
「……えっと、ナイツさん。」
「何だ?」
「見なかったことにして下さい。」
「…………そうしておく。」

執筆:2006/12/01