喫茶『鳥籠』という≪世界≫がある。
 本当にちっぽけな、例えるならば畳十畳分くらいの、≪世界≫と呼ぶにはそれはあまりにも小さな店だ。
≪世界≫に住む人間はたったの二人。それも『鳥籠』で必ずしも寝食を過ごしているとも限らない、どうやって生活してるかどうかも分からない住人だけ。
 お目にかかれるのは神に創られた数十名あまり。呼び出す(、、、、)方法は至って簡単。ただ「行きたい」の強く思う、たったそれだけ。

 創った者たちの心の傷を癒すため。そのために【神】は『鳥籠』を創り出した。
 他でも無い世界の狭間。定められた場所をもたない、世界と世界の間に創られた(、、、、、、、、、、、、)不確定の店――
 数多世界を繋ぐ唯一の場所、その場所こそが喫茶『鳥籠』。そこはあまりにも……





†世界の狭間†





 ……埃っぽいところであった。
 喫茶店という、衛生上ぴかぴかに磨いておかなければならないテーブル席には年月が経って粘っこくなった埃が沈殿し、そこほどでは無いものの床にも薄っすらと白っぽい埃が降り積もっている。元の色は濃い茶色のような色であったと推測出来るが埃の層は厚くはっきりとは判断つかない。もしこれが真佳の世界で普通に経営している喫茶店なら、確実に客は取れないだろう。
 出入り口から入って左側にある陰気なテーブル席に横目を流して更に微妙に距離を取りつつ、扉を閉めて奥へと進む。扉の開閉に影響されて床に積もった埃が生き物のようにささめいた。


「いらっしゃいませ。喫茶『鳥籠』へようこそ」


 店内で唯一埃を被っていない空間から聞きなれた女の声がした。ぴょこんと視線を其方に向ける。L字型のカウンターテーブルの向こう側、彼女の定位置である店長席にお尻を引っ掛けテーブルに肘を乗っけてこっちを見ている彼女の黒い目と、目が合った。


「こんちは、佐奈」
「こんにちは。今日は何? まさか傷を癒しに貰いにきた〜とか言うんじゃないんだろ?」
「うん、そー。期待した?」
「……ちょっとだけ。だって此処、お前らの傷を癒すための場所として創ったんだぞ? それ以外の用途で使うつもりなんて無かったのに…!」
「此処を『鎖神』の会議所にしようって言い出したのは、佐奈自身では無いですか」
「そぉだけどー」


 そこらにいる女の子と同じように不満げに唇を尖らせて、彼女がテーブルに顎を乗せてぶうたれる。その真ん前の、テーブル席と違って適度に手入れされたカウンター席に腰を下ろして彼女の顔を真佳は見下ろす。
 月村佐奈。上下黒のTシャツとハーフパンツの上に水色のエプロンを引っ掛けた、良く言えば親しみ安い、悪く言えば威厳の無いいわゆる【神】である。
 勘の良い人はもう気付かれておいでだろう。彼女こそ、喫茶『鳥籠』とそうして真佳を創造した創造主。……と言っても、神々しいとか厳かな存在とかでは決して無い。人間や世界を創った者を呼ぶ呼称がそれしか無かったためそう呼ばれているだけ。彼女は自分のことを“母親”と呼んでいるし。


「まぁまぁ、そー気を落とさずに。今回私は良いものを持ってきたのだよ」
「……“良いもの”?」


 テーブルに顎をつけたまま片眉をちょいとはね上げて彼女がそれを復唱する。真佳はそれに意味深ににんまりと微笑ってからテーブルの上に飾り気の無い長方形の洋風封筒を滑らせた。
「…何これ、手紙?」漸く曲げていた背筋を伸ばしてから、佐奈が封筒を右手でひょいと取り上げる。


「そ。BOSSからの任務経過報告。佐奈はもう知ってるだろうけど一応って『鎖神』のBOSSがしたためてくれたのさ♪」
「……つまり、我が子直筆の手紙」
「いえーす☆」
(はちす)さんも真佳もグッジョブ!」


 BOSS、即ち蓮さんからの手紙にすっかり舞い上がったのかご丁寧にびしっと親指を突き立てて佐奈がばしっと叫んだ。カウンターに置いてある古ぼけたラジオから控えめに流れるジャズと真佳らの会話を除けば静かなそこに、佐奈の叫びが見事に反響する。
 想像していた通りというか何と言うか、佐奈は『鎖神』に関する業務連絡よりも自分の子の筆跡の方に価値を見出したらしい。“我が子”大好きな彼女が相手ならばそうくるのも必然的だろうと思う。何せ彼女の子どもへの愛情は並大抵のものではないので。
「ふっふふー、宝物にしよう」とかいうようなことを至極真面目に言いながら封筒の封をこれでもかというほど丁寧な手つきで切りにかかる佐奈に、胸中で軽く吐息してカウンターテーブルの頭上を振り仰ぐ。
 全体的に薄暗い店内で唯一の光源の役目を担っている裸電球の光が直接目を刺して、思わずぎゅうっと目を細める。薄っすらと埃が被さっていても光の強さにはなんの影響も及ぼさないようだ。どうでも良いけど白熱灯に埃って火事のもとじゃなかったっけ。そこら辺の安全は果たして大丈夫なのだろうか。


「……いつも通り、仕事が素早いことで」


 声に引き寄せられるように真佳は視線を豆電球から佐奈の方にシフトする。網膜に焼きついた光の残像と丁寧に二つに折られた便箋を封筒に仕舞いこむ佐奈の姿が重なって軽く目の前がくらくらする。
 ふー、と一息吐いてから、真佳はおもむろに口を開いた。


「――ま、私らだもんねぇ。選りすぐりの強者を佐奈が集めてくれたから比較的楽ってゆーのもあるけど」


 佐奈が自身の片頬を持ち上げる。“まあねぇ”とでも言いそうなにんまりとした笑みに真佳は背の高いカウンターチェアの横で両足をぶらぶらさせて頬杖をつく。
 双方共に理解していた。真佳自身も所属する『鎖神』が並大抵の人間などに負けるはずは無いのだと。

 そもそも、『鎖神』という組織は創造主である佐奈の力不足故に立ち上げられたものだった。
 佐奈が創造した人間は何も名のある者だけではない。名も無い者、即ちモブと呼ばれる不規則分子も数多世界に存在している。
 名前というのは創造主と創造物との契約だ、とは佐奈の言である。物語に存在を認識してもらう代わりに創造主という存在からの干渉を認めるという契約の儀なのだと。
 しかし契りを交わしていない名前も知らない者の動向を知ることは、創造主と呼ばれる者でも到底不可能な話なのである。予定外の犯罪を起こすのはその、“名前の無い者”であるというのに。
 佐奈がそれ(、、)を知ったのは一ヶ月前。それ(、、)の対策として『鎖神』を結成したのは今から一週間前のこと。当初は全く危険視していなかったモブの起こす犯罪が、佐奈がプログラムしていないにも関わらず物語の主要人物の前で起こったものだから流石に黙認することも出来ず結成された。
『鎖神』の使命は、物語のバグを取り除くことにある。
 捕らえるもよし、裁判にかけるもよし。殺しだけはしないようにと言い聞かせられ、出来上がったのがこの『鎖神』。
 今まで結構な数の事件を終結させてきた真佳らにはそれなりの自信というものがある。


「仕事が比較的楽なことに私は一切関わってないとは思うけどね。全般的にお前らの実力さ。精神的にも肉体的にも強いお前らがいたからこそのこの結果なわけさ。んで、そういうお前らが私は滅法大好きだ」


 最後になんともさらっとした口調で挨拶にも等しい告白をかましてから「あ」と何かを思い出したみたいな一音が佐奈の口から飛び出した。
 きょとんと目を瞬かせる真佳を他所に、佐奈は「あー…」とか「えー…」とか言いながら首をあっちに傾けたりこっちに傾けたり。最終的には考えが纏まったのか、ぞんざいな感じで頬杖をついて「真佳」と此方の名前を呼んだ。


「ちょっと、蓮さんに持ってって欲しいものがあるんだけど」


 佐奈からの突然の申し出に、真佳はぱちぱちと瞬きを繰り返してからやがてにんと癖のある笑みでその依頼を受け入れた。
 断る理由など何も無い。面倒臭いなんて言ってられない。何せこれには、
 自分たちが住まう世界の命運がかかっているのだから(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)

執筆:2006/09/12
加筆修正:2009/06/18