『鎖神』という組織は全部で四つのグループに分けられる。
 本拠地に留まり『鎖神』の現場指揮官を勤める者、即ち双葉(はちす)の属する『紫水晶』。同じく本拠地に居を構えることで如何なる緊急任務であっても即座に対応することの出来る『柘榴石』。自分の世界で生活を送るがいざ召集をかけられれば任務に当たる『緑柱石』。そして、よっぽどのことが無ければ任務に応ずることは無く主に情報収集に徹することの多い者の属する『蛋白石』。
 以上。これらが『鎖神』を構成するグループの殆ど全部。皆頼りになる、真佳のかけがえの無い仲間である(と、言うようなことを口に出そうものなら多分過半数の人間が微妙な顔をするだろうけど)。

 てん、とリズムをつけて階段の最後の一段を飛び降りた。後ろ手に手を組んだまま後ろを振り仰ぐと、双樹に周囲を飛び回られてながら鬱陶しそうな顔で降りてくるカオスさんの姿が見えた。双樹に急かされているにも関わらず歩調に急ぎの色は無い。
 マイペースな人だ。あと恐ろしいくらいに洞察力の鋭い人。
 空元気は彼の前では禁物、と心のメモ帳にこっそりメモる。見破られてしまったら空元気の意味が無い。


「先に行ってろ。急かされなくともすぐに追いつく」
「ぜったい?」
「ああ」


 追い払うみたいなカオスさんの口調に考え込むかのような沈黙をおろして双樹ちゃんが漸くスイ、と此方に降りてきた。


「カオス、後来る。先行ってる」
「双樹も?」
「一緒行く」
「ん、じゃあ行こ♪」


 相変わらずのんびり歩いてくるカオスさんを一瞥だけして、食堂までの道のりを双樹と並んで小走りで駆けた。





†チョコミントのアイス†





「呼ぶ、来た!」


 扉を開け放つと同時にきらきらした声で双樹が言った。与えられた任務をクリア出来たことが嬉しいのだろう。その様子からは幼い子どもが抱く可愛らしい達成感みたいなものを彷彿とさせた。


「ありゃ、天音たちは?」


 三十畳はあろうかと思われる食堂をぐるりと見回して感じた違和感に、目をぱちぱちと瞬かせてそう問うた。十二人掛けの簡素なテーブルの真ん中にはアンティーク調の鉄製鍋敷きが一つ。それを囲むように並べられた、十二脚あるそれぞれの椅子の前には七人分の食事の用意しかされていなかった。そして、今この場にいる人数は(双樹を除いて)六人。他の五人は一体どこにいるのだろう。


「天音さんと由理さんは睡眠を取ってるところだと思いますわ」


 メゾソプラノの声域で紡がれた言葉の主に自然と目がいっていた。
 ちょろちょろと周りを飛び交う双樹に適度に応じつつ木製の椅子にきっちりと礼儀正しく腰を下ろしている少女が、真佳の質問に応じた声の主だった。姿勢同様きっちりお団子に結われた艶やかな黒髪に色素の薄い白銀色の双眸を持った女の子。民族衣装っぽい薄黄緑の服装に身を包んだ彼女は、名を天寺楓という。双樹の懐き具合から察する人もいるだろうが、彼女こそが双樹の“契約者”だ。


「因みにアウトマティアさんは帰って早々鍛錬、双葉さんは仕事が残っているのだそうで自室で食事を取るそうです。ライアンさんは彼女たち用の差し入れを作りにたった今厨房に向かわれましたわ」
「へー……」


 淀みない口調で紡がれるそれに軽く相槌を打って、比較的近くの食器が用意されている椅子を引っ張り出してから腰を下ろした。その僅かな時間でカオスさんの方は既に窓際の席に腰かけている。一番端っこの、楓ちゃんの隣だ。


「ホント、困りますわよね。協調性の無い方は。食器を片付けるのがどれだけ面倒になると思ってるんでしょう」


 ふー、と上品に頬に手なんて当てたりしつつ楓ちゃんが溜息を漏らす。確かに片付ける側にとってこの統一性の無さは厄介この上ないことだろうが、別段楓ちゃんが片付けするわけじゃ無いんだし良いんでは、と思ったりする。だって楓ちゃんは――


「え、お前片付け当番じゃないだろ? 台所周りの家事壊滅的に不得手だからって佐奈に外され――」
「双樹。今すぐこの無神経な男を柱にでも縛り付けて差し上げなさい」
「縛るー!」
「ちょっ、待ておれ何か変なこと言った!?」


 全くもって自分の失言を理解していないっぽい男の子が双樹の能力によって蔓でぐるぐる巻きにされるのを見やりつつ、真佳はこっそり微笑とも苦笑とも取れない笑みを零した。
 そう、楓ちゃんは料理を始めシンク及びコンロ等の掃除、食器の片付け、食器洗浄機に使用済みの食器をセットする程度のことまで、全くもってこなすことが出来ないのである。前に試しにやらせてみたところ見事にコップ一つとお皿二枚を割ってみせた。他の家事なら拙いながらも何とかやり遂げてしまえるというのに何故台所周りだけ、というのは微妙に『鎖神』内七不思議の一つである。
「大変だねぇ、(くう)くんも」まぁさっきのは彼の自業自得も混じっているような気もするが。何も本人が気にしてることをわざわざ口にしなくてもなあ。


「ホントにな……。双樹とケーヤク結ぶまではおれの後ちょこちょこくっ付いてくる箱入り娘だってっつーのに……」


 などと独りごちる彼は、もう抵抗する気も失せているのか暴れることもせず大人しく柱にくくりつけられたまま溜息をついている。その台詞は何だか悲壮感が目一杯に詰め込まれていて、空くんの今までの人生を如実に物語っている。
 紫黒色したザンバラ髪と暗黒色の双眸を持つ彼、四方山(よもやま)空くんと楓ちゃんは何を隠そう腐れ縁の幼馴染であるという。つまりは同じ世界の出身者であり、故に彼の方も楓ちゃん同様民族衣装風の着物に身を包んでいた。世界の違いを感じるのはこういうところ。


「真佳さん、何してるの」


 後ろからかかった声に振り返った。両手にはめた鍋つかみで大鍋を軽々と持ち上げた状態で、アーティ・ゲルツが此方に視線を向けていた。


「んー? 拘束されてしまった空くんと仲良くお喋りしてました」
「いつものことじゃん。ほっとけほっとけ」


 と、言うのはアーティの背後からとてとてと歩いてきた高月袴乃香(このか)ちゃんである。相変わらずきらきらした輝きを放つ銀の短髪を隠すみたいにジャケットと揃いの野球帽ですっぽり覆った格好だ。勿体無いなぁといつも思う。その綺麗な髪をシャンデリアの光の下に晒せばきっともっと素敵だろうに。


「ほっとけって何だよお前ら! たーすーけーろー!!」


 今まで大人しく縛り付けられていた空くんが猿みたいに暴れだした。
 ちらりと視線を他の子たちの方に向ける。皆の中で空くん関連のことは既に日常生活に溶け込んだノイズとして処理されているのか知らないが、全く気に留めた様子の人はいなかった。まぁ予想していたことではある。


「それよりほら、ご飯食べるよ。折角袴乃香が作ってくれたんだから冷ますのは勿体無い」


 物凄く利己的な発言をかましながらアーティが持っていた大鍋を危なげなく鍋敷きの上に置きやった。ぽいぽいと鍋つかみをテーブルの上に放って丁度やってきた袴乃香のために紳士然とした態度で椅子を引く。袴乃香ちゃんがそれに「ん」とか言って引かれた椅子にちょこんと腰を下ろした。
 今日もまた完璧なまでの気の遣いよう。こんなあからさまな態度であるから、アーティが袴乃香に想いを寄せていることは多分『鎖神』メンバーのほぼ全員が知っている。


「いや、おいこら、おれは? おれのメシはどーすんだよっ」
「デリカシーというものを学ぶまでは暫くそのままでいてくださいませ」
「ちょっ、ふざけんな!」


 尚も暴れる空をちろりと一瞥だけして真佳は大鍋の方に視線をやった。アーティが袴乃香ちゃんの分のシチューを当たり前みたいによそってる。後でおたま回してもらおう。


「真佳ぁーー……!!」
「うん、やっぱほら、私も任務帰りでお腹空いてるから☆」


 背に腹はかえられんというのは正にこのことだ。尤もらしい理由をつけて空いたおたまを受け取る真佳である。
 尚も背後で喚いている空くんをさっくり無視して二掬いした皿を見やりつつううむと唸る。もうちょっといれるべきか否か……。それが最大の問題だ。
 柳の枝が撓るような音が飛び込んできたのは丁度その時だった。


「さくら! コウ!」


 真っ先に声を上げたのは楓ちゃんの周りをちょろちょろしていた双樹。彼女が喜色の混じった声を上げた通り、此処に集まる全員が固まって座る側のテーブルとは逆方向、六つの空席を隔てた先に見知った二人の姿が見えた。
 金と茶の頭髪をそれぞれシャンデリアの電光に照らさせて立つ人物を見て、


「わーい、さくら久しぶり!」
「任務前に会ったでしょう。あとさっき電話もしてたし」
「私の間隔的には“久しぶり”!」
「どんだけ短い時間感覚持ってんのよアンタは!」


 邪魔者みたいにシチュー皿を机上に置きやって駆けていったところで、べしっと結構容赦ない力で叩かれた。「あいた」思わず唇を尖らせて右手で頭部をさすさすする。遠慮とかそういうのをしないところがさくららしい。


「相変わらず仲がいいようで何よりだな、二人とも」


 嫌味っぽくない笑い声を立ててコウさんが言った。微笑ましげに蒼い目を細める様は二人の子どもを見守る父親のようにも見えてちょっと面映く感じる。寛容な大人の前にふざけてるところを晒すというのは何だかお尻がむずむずするくらい居心地の悪いものだ。


「で、用件は何だ。双葉なら自室だぞ」
「いや、用があるのは蓮じゃなく由理の方でね」


 飄々と答えてポケットをごそごそとやるコウさんに、問いかけをぶつけたカオスさんがちょいと片眉をあげた。来客中であるためか彼がシチューをよそう気配は見られない。カオスさんだけでなく、楓ちゃんの方も腿の上で手を組んで大人しくしたままだった。


「これを」


 コウさんがポケットに突っ込んだ手を引っこ抜く。ごつごつした男の人の手に握られていたのは、理科室とかで良く見るタイプの細長い試験管だった。中身は――血だ。多分人間の血。


「由理に分析してもらいたくてな」
「コウさん、まさかそれ……」
「ああ、(アノフェレス)感染者から採取した血液だ。ワクチン作成のヒントになるんじゃ無いかと採っておいた」


 やっぱり、とアーティが小さく呟いたのを聴覚が拾った。真佳も予想していたことだ。人間の血に自らの“核”を植えつけ対象者の自制心を取っ払ってしまうのが(アノフェレス)なのだから、感染者の血液に何らかの手がかりが隠されている可能性が大いにある。


「できれば今日の内に渡しておきたいんだが、今由理は――」


 自然と天井の方に視線をやっていた。真佳の視線の意味を察したのか、コウさんが少し参ったように唸った。


「――眠っているのか」
「四六時中動ける研究員は由理さんしかいらっしゃいませんから。疲れておいでなのでしょうね。ついさっきまで連日で徹夜もしていたみたいですし」
「そうか……困ったな」楓ちゃんの言に眉宇を寄せてコウさん。コウさんも普段は治安部の大将をしている身分であるし、自由な時間が少ないのだろう。


「私、預かってましょーか」


 気付いたらそう提案していた。
 それを聞いてか、コウさんがくしゃりと目尻にシワを寄せて柔らかく笑う。


「そうしてもらえると助かる。そんなに急いで結果が知りたいわけではないから、気長にやってくれと由理に伝えておいてくれ」
「りょーかい」


 気軽に応じてコウさんから試験管を受け取った。シャンデリアの光に照らされる真っ赤な液体は、何だか“命の水”みたいに見える。


「んで、さくらはどーしたの? コウさんの付き添いってわけじゃないでしょ?」


 ニットロングコートのポケットに試験管を突っ込んできょとんと小首を傾げて聞いてみる。わざわざ必要なはずもない付き添いでさくらが時間を潰すとは思えない。


「佐奈に配達頼まれたのよ。チョコミントのアイス」


 と、手に提げたビニール袋を持ち上げるさくら。半透明の袋が邪魔して中の様子は少ししか垣間見ることが出来ないが、どうやらケーキを入れる箱のようなものの中が入れてあるようだった。アイスはあの箱の中だろうか。


「をを。佐奈が気を利かせている」
「その台詞佐奈が聞いたら五月蝿いわよ」
「なぁ、クリームソーダのアイスは? 入ってる?」


 柱にぐるぐる巻きにされた状態で空くんが身を捩りながら横槍を入れてきた。子どもみたいに目をきらきらさせてる空にちらりとさくらが怪訝な視線を向ける。


「あるにはあるけど……アンタそこで何してんの」
「いつもと同じことですわ」
「いつもと同じことってなんだよ」


 幼馴染の物言いに空くんが口を尖らせすかさず言い返す。さくらの方はもうそれ以上会話を続ける気は無いようで、ぐりぐりと指で米神を揉み解しつつ「とにかく」と場を取り成しにかかった。


「ご飯の後にでも食べときなさい。ちゃんと冷凍庫に入れとくのよ。不精でそこら辺に放置しないように」
「失礼な。それくらい私にだって出来るよ」


 軽く唇を突き出して真佳が言う。さくらは若しかして真佳を五歳くらいの子どもだと思っているんじゃあなかろうか。
 それでも尚も不審そうな目を向けるさくらの横から、ひょいと白い手が飛び込んできた。
 思わず半歩横にずれる。迷彩柄のジャケットに包まれた腕が真佳の横を過ぎてさくらの持つビニール袋の取ってに伸びる。三者固まること数秒。


「……早く入れないとアイスが勿体無いことになりそうなんだけど」


 袴乃香のローテンションな声に鼓膜を叩かれて我に返った。やる気のなさげな表情とは裏腹にその灰色の双眸には真夏にアスファルトを照りつける太陽みたいなじりじりした雰囲気が確かにあった。真佳とさくらの無意味な言葉の応酬に焦れてきたのだろうか。“食料は神”を掲げる袴乃香なら考えられないことでもない。マイナス十八度以上の空間にアイスを晒すのはご法度だ。


「……ああ、そうね、入れてくれるなら有り難いわ」


 微妙に戸惑いつつさくらがぱっとビニール袋から手を離した。
「ん」やきもきした気分を漸く追っ払えるとばかりに袴乃香がこくんと大きく頷く。そのまま厨房にとてとて歩き去ってしまう袴乃香を目で追って、真佳とさくらは同時にこっそりと息を吐いた。何と言うか、今更だけど濃い連中が集まってるよなあ、『柘榴石』って。


「では、そろそろ私たちは帰るとするか」


 愛娘である袴乃香の背を見送ってからコウさんが言う。昼間の宝石強盗の件に関する報告書やらがまだ残っているのだろう。その顔には疲れみたいなものが見え隠れしている。大将というのは想像以上に忙しそうだ。


「そうね、用も済んだし」


 と、あっさり頷くのはさくらである。
 いつもなら此処で泊まって泊まってと催促するところだが、まぁ今日は勉強の合間に電話の相手をしてくれたり『鎖神』の任務が終わるまで留まっていてくれたりしたので、我慢することにする。


「それじゃ、またね」
「うん」


 さくらとの短い会話を交わした、それが最後。再び柳の撓るような鋭い音が空気を振るわせたかと思うと、まるで神隠しにあったみたいに二人は忽然と姿を消した。これが佐奈の仕業であるということは考えずとも理解出来る。何故ってこの場所このタイミングでの場所移動の行使が彼女以外に考えられないから。


「さて、ご飯食べよっか」


 ぴょんと跳ねるように振り返ってそう言った。
 睡眠時間中にたたき起こすのも可哀想だから、由理に用事を頼むのは彼女が十分睡眠を取った後にしよう。

執筆:2006/09/19
加筆修正:2009/07/26