何も無い空間から世界に存在を滲みこませるようにして現れた小動物が、人の子どもくらいの大きさになって大の大人を何人も食らって自分の体の一部にしていく。
 そんな設定の怪物が出てくる映画などB級と言うのも言いすぎなくらいで新聞に紹介されていたとしても絶対に見に行こうとは思わないだろうが、それは確かに現実で起こったものだった。と言ってもすぐ目の前で起こったのではなく液晶画面を通して見た別世界での出来事だが、しかし別世界の存在を知っているアーティからしてみればそれは十分リアルな物事だ。
 寄生獣(パラサイト)とは違い核の無い存在か、それともそれ自体が核だろうと真佳が言った。カメラ越しに見ていたアーティでもそう思う。前者であれば非常に有り難いところなのだが、そうそう世の中を甘く見てはいないので楽観視も出来ない。確かなことが分かるまでは後者であると仮定して慎重に行動するのが賢明だろう。
 慎重に行動するというのは即ち“あれ”を傷つけないようにする(、、、、、、、、、、)ということだ。
 少し考えれば誰でも分かる。あの入れ物は(アノフェレス)を内に取り込むことによって微生物以下のサイズだったものが急速に巨大化した結果に過ぎない。入れ物の中で体液か何かで融合したりしていない限りその体も(アノフェレス)が寄り集まっただけのものだと考えるのが妥当だろう。更に地面に落ちた化け物の腕――砂のように消失したあの腕が全て(アノフェレス)で出来ていたと考えれば、本体から切り離されたが故に寄り集まっていた羽虫が散り散りに逃げたのだと考えれば一応の説明はつく。
 汚泥の皮膚に覆われた膨大な(アノフェレス)の塊。核と呼べるものは後から集まった(アノフェレス)などではなく最初の一匹、即ち汚泥を含む皮膚そのものと目玉、それから最低限動けるだけの人体機能程度だろう。真佳が核と呼んだそれも化け物全体を指していたわけでは無いと思われる。頭は弱いが勘の鋭い奴だから。

(また面倒なものを敵に回した……)

 肉眼では見えず感染者の出血で一度に大量に孵化するという寄生虫に物理攻撃を加えようとも入れ物に詰め込まれた(アノフェレス)に逃げられるだけにしかならない汚泥を纏った寄生獣(パラサイト)の出来損ない。何でもっと簡単な、心臓を貫くか首の骨を折るかすればすぐに殺せるような生き物が敵じゃないんだとアーティは胸中で毒づいた。それなら楽に終わってるはずだったのに。





†敵手の掌中でタンゴをどうぞ†





 あれが、最初の一匹が核でその他(人間で言うところの脂肪やら水分やら血液やら)の部分は全部微生物以下の虫けら……?
 秋風真佳の推理を胸中だけで復唱して、冗談だろとこれも他に聞こえないよう口の中だけで独りごつ。化け物の体から突き出た感染者の手足にもまだ(アノフェレス)の卵だとかいう厄介なものが潜んでいるだろう。ならば悪戯に攻撃するのは浅慮というもの。


「おい、四方山(クロノス)とかいうガキ」


 唐突に簡単な処理方法に思い至ってちまちました(アノフェレス)退治に勤しんでいた紫黒色の男の方に声をかけた。感染者の出血にプラスして(秋風の推理が当たっていたとしたらの話だが)元汚泥の化け物の一部であった羽虫も空気中に漂っているはずだから片付けなければならない数は相当数あることだろう。が、それに気を遣ってやる義理は今のフォー・セブンには無い。


「あ? なんスか?」


 なおざりな敬語は無視してやる。そもそもフォー・セブンとて偉そうに説教垂れるほど年長者を敬ったことは無いので。


「今すぐあのバケモンの時間止めて巻き戻して、最初のちっちぇえ(アノフェレス)に戻せ」
「は?」
「その方法で倒すのは簡単だけど、今度からどーすんのさぁ」
「るっせぇ、俺はテメェらの今後なんざ興味ねーんだよ。とっとと終わらせてとっとと元の世界に帰りたいだけだテメェらが困ろうがどうしようが知ったこっちゃねぇ」


 吐き捨ててやったら呆れたような溜息を吐かれて米神が引き攣った。しょうがないなあとでも言いたげなそれを明らかに年下な赤目の女にされて腹を立てないほど自分が寛容な性格でないことは当の昔に自覚している。
 此方の顔と秋風の顔とをコンタクトをはめていない方の目だけで交互に見やってから、不承不承とでも言う風に四方山(くう)が「分かった」と頷く。そうして奴が目を眇めてもう最初に会ったのとほぼ同じ状態に戻りつつある化け物の方を睨みすえた、丁度その時――
 化け物が動いた。
 予想出来ない速さで近くの人間――赤目の女に異常に伸びた五指の爪でもって襲い掛かる! 「……っ!」咄嗟に胸の前でクロスさせた腕で真佳がそれを迎え撃つ。歯でも食いしばったような声にならない声が女の口から瞬間的に漏れ出たのを確かに聴覚が拾い上げた。


真佳(シャパシュ)!」


 四方山か天寺楓かそれとも両方かが女の名前を呼んだ。焦ったような二人に対ししかし秋風の方は手馴れたもので、一端バックステップで距離を取ってから
 一気に半回転しながら階段を半分まで飛び降りてきた。
 階段の僅かな段に両手で着地しそこから更に半回転して階段の一番下まで飛び降りる。やっぱコイツ手馴れてねぇ普通そんな危ない方法より化け物を蹴りで遠ざけて距離を取る方を選ぶだろうと誰に言うともなく胸中で怒鳴った。


真佳(シャパシュ)、大丈夫ですのっ?」


 化け物に背を向けて尋ねる楓にこれまた舌を打ちそうになったがどうにか女の精霊だか何だかが先ほどの幹で化け物を取り押さえているようなのを見て思いとどまった。思いとどまってから眉を顰める。何で俺が他人の心配してるみたいになってんだ。
「だいじょぶ。ちょっと肉削がれたけど致命傷ってわけじゃない」視線を床にやる。鮮やかなほどの赤が階段上に点々とした模様のように描かれていた。


「それよか(ラクシュミ)ちゃん、早くそっから離れて。こいつ……さっきより断然厄介だ」


 階下で凄む真佳に言われるまでもなくフォー・セブンもそれは感じていたことだった。さっきとは(というのは勿論時間を巻き戻す前の話だが)比べ物にならない速さ。本気で自分たちを狩ろう(、、、)としているのがよく分かる。まるで化け物が自分の成り立ちをわざとフォー・セブンらに見せてやってたみたいな――考えすぎか。
 ともあれチャンスは今しかない。精霊が化け物を取り押さえている今この瞬間しか。


四方山(クロノス)ッ! とっとと時間止めて巻き戻せ今しかねぇ!」


 目線だけで振り返って急かしてやると空は一瞬躊躇したように秋風と天寺を見やってから、「あーもう」漸く指先を化け物に向けた。納得したというよりは投げやり気味な行動だったが奴の心情はあまり関係無い。とりあえずは化け物を殺せば良いんだ。
 秋風の忠告を受けて天寺がフォー・セブンの脇をすり抜ける。それを見やって四方山が漸く指を打ち鳴らさんとしたところで、
 精霊の力に押さえ込まれていた化け物がさっき以上に暴れ始めた。
 あまりにも予想外すぎるそれに思わず動きと一緒に思考も停止させてる内に「きゃっ」精霊の操っていた幹を掻い潜ってこっちに突進してきた。


「やべっ」


 口の中だけで独りごちて咄嗟に四方山の首根っこを引っつかみ階段の端に背中を張り付ける。化け物は突進してきた勢いのまま階段を降り切ってやはり勢い殺すことなく何の予備動作も無いままに秋風と天寺の方に鋭く尖った爪を振り下ろす。二人が間一髪で避けているのを確認してから、


「おいおいマジかよ……」


 引き攣った口から焦ったような声が漏れた。
 あのバケモン、若しかしなくても四方山の能力を知っていやがる。それを鑑みて、時間を巻き戻させたり止めさせたりする隙を一秒だって与えるまいと行動しているのだ。


フォー・セブン(タルタロス)(クロノス)、逃げよう!」
「って、あいつ(アノフェレス)に戻さなくて良いのかよっ」
「逃げ場を無くさせないと多分無理。あいつ時間止められたらどーなるか知ってるからどんな無茶でもするよ」


 フォー・セブンの思ってたことを代弁するみたいに先に宣言して、それから此方の動向など一度だって確認することなく天寺の手を引いて廊下を駆けた。化け物の脇を掻い潜るみたいな格好になって、結果的に出し抜かれた格好になった化け物がそれに腹を立てたのかどうかは知らないが男二人の方に見向きもしないで秋風らの方を追っていった。あの赤目のガキも相当勝手な性格をしていると思う。非常時での素早い判断力は命を繋ぎとめるための大事なものであることは認めるが。


「……行くぞ」


 不機嫌極まりない声が口から漏れて自分自身に舌打ちし、元来た道を引き返す。すれ違い様、四方山がこれまた投げやり気味な溜息を吐いたのを背中で受け流して傍から見たら焦ってるとは到底思えない歩調で階段を降りきった。俺だってあのバケモンがあそこまで頭回る奴だったとは想像出来なかったんだよ悪かったな。
 階段を折りきってから廊下を曲がって、そこで漸く駆け出した。遠くに化け物の緑色した背中が見えたが何せその化け物が普通の大人二人分はある横幅をしているのでその向こうを走っているだろうガキ二人の姿は見えない。

(どこ向かう気だ……?)

 四方山の存在などその時にはもうすっかり無視して胸中で呟いた。あの赤目のガキ、どっかアテがあるような自信満々な声してやがった。そう意地っ張りには見えなかったから判断に困ればどうすれば良いか此方に意見を聞いてくるはずだ。ということは、行き当たりばったりの出たとこ勝負というわけでもないのだろう。
 どうやらあっちには他に策があるらしい。
 ならばそれに賭けてやろうという気になっていた。信頼しているとかそんな綺麗事なんかでは勿論なく、その方がとっととこのくそ面倒くさい仕事を終えられると野生の勘が告げたから。

執筆:2006/09/21
加筆修正:2009/09/10