科学者というのは単なる仮の姿で、実はそう名乗っている人たちは表の世界に身を潜ませる魔法使いであるに違いないと、ライアン・ノートンは半ば本気でそう思った。
 報告のためにと合川由理が双葉(はちす)の執務室に赴き数分の時間を置いて戻ってきて、それから先はあっという間だった。何やら知り合いらしい男を呼びつけて(多分異世界を自在に渡り歩くことの出来る“異世界案内人”という種族だろう。合川もその下で研究に就いていると以前に聞いたことがある)異世界から取り寄せたという見たこともない材料をもとに寄生虫と謳われる(アノフェレス)を閉じ込めるケースをものの数時間で完成させてしまった。
 丸底フラスコを巨大化させたみたいなもので、透明なのでガラスか何かかと思ったらもし誤って落としたとしても割れないようなもっと頑丈なもので出来ているらしい。異世界とはまだ見たこともない真新しいものが溢れかえっている世界に違いない。


ライアン(アイオロス)、この中に(アノフェレス)入れちゃってくれる?」
「ああ、はい、了解しました」


 合川からの指示を実際口にすることはなく目線だけでヴェントに命ずる。と言ってもライアンの魔魅というのは存在しているくせに姿が無い分視界に入れることは不可能なやつなので風の流れを読んでそこだろうという検討をつけた場所を見やるだけなのだが。
 風の流れが変わった。主人の意思を汲んで内に孕んだ(アノフェレス)を台の上に横たわるケースの唯一の出入り口に送り込んでいるのだろう、ということが何となく分かる。祖父の代からライアンの家系に受け継がれてきたヴェントが主人の命に反することはそうそう無い。
 任務に赴いた(くう)の持つそれと対になったコンタクトレンズを右目にはめた合川が真剣な表情で見つめているのは未だケースの中に納まっていない(アノフェレス)だろう。『鎖神』の研究員として一匹でも取り逃がすわけにはいかないとかいうようなことを胸の内で思っていそうな彼女に内心微笑を漏らした。真面目な子だなあ。
 子どもがお菓子を物色してるみたいにも見える真剣さで暫くケースの入り口あたりにじっとりとした視線を固定させてから、「二……一……」カウントダウンするみたいな呟きが漏れて漸く彼女は表情を若干明るくさせてから視線を上げた。ヴェントがまだケースの出入り口に張り付いている内にしっかりと蓋をする。


「全部入ったみたいですね」
「うん、おかげさまで。ありがと、ヴェントがいなかったらどうしようもなかったとこだわ」
「お役に立てたのなら光栄です」


 社交辞令で言ったわけではなく本心からの言葉だったのだが、どうも彼女には前者と取られてしまったらしく軽く微笑まれた。大人の女性がやるようなものではなく、それよりもっと子どもっぽいものだったが彼女の素直さが垣間見れる微笑だったと思う。


由理(アテナ)


 双葉が彼女を呼ぶ声で、関係の無い自分までも合川と同じに視線を振り向けていた。何も本拠地の中でまでコードネームを使う必要は無いのかもしれないと冷静に考えると思うのだが、これは『鎖神』が出来たとき自然と出来上がっていた暗黙のルールなのである。任務に赴いているいないに関わらず皆で一丸となって敵勢と相対している認識を持つように、というのがライアンが弾き出した暗黙のルールの意味だった。言い出した本人では無いので違っている可能性は大いにあるが。


アーティ(オルフェ)から画像ファイルが送られてきたみたいよ」
アーティ(オルフェ)から?」


 訝しげに反芻して合川がそっちへ小走りで駆けてった。合川が自分で作ったという壁一面を覆うほどの巨大なコンピューターのまん前で、双葉と並んで合川が液晶画面を見上げている。
「ヴェント」一言だけ呟くように言ったらそれだけで心得たようで大人しくライアンの血液中に帰っていった。魔魅が体内に潜む感覚に初めは何とも言えないむず痒さを感じたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。


「……何これ……」


 気味悪そうな合川の声に意識を引っ張られて、視線の方もついでに其方に向いていた。
 以前に構造を尋ねたは良いが結局理解しきれなかった(どうも自分は生まれ育った世界とか関係なく機械関係には弱いみたいだ)魔法の箱の液晶画面に、歪なシルエットが浮かび上がっていた。
 最初は何か分からなかったがよくよく見ればそれが人型をした何かなのだということが何とか分かる。腐敗した泥を全体に纏った、眼球がむき出しの奇怪な出で立ち。強いて言うなら鎧の装飾品とも取れなくもない何かが体からぼこぼこと突き出ているなと思ったらそれはどうやら人の手や足のようで、それがまた人型のグロテスク度合いを増すのに一役買っている。
 要するにモンスターと言っても差し支え無いと思われる物体が、そこに写りこんでいるのだった。


「双樹が任務先で撮影したもののようね。十中八九敵でしょう」
「ってことは、真佳たちこれと戦ってるってことっ?」


 コードネームで呼ぶのも忘れて勢い込む合川とは反対に冷静な態度を崩さないまま双葉が「多分ね……」重々しく頷いた。合川の横顔がさっと青くなるのに見かねて漸くそっちへ足を向ける。どうやら自分は機器類とは相性が悪いらしく、複雑な作りの機械に触れただけで壊してしまうのであまりラボをうろつかないようにしているのだ。


「落ち着いてください。秋風(シャパシュ)さんの強さは合川(アテナ)さんが一番良く知っているのでしょう?」


 肩に手を置き努めて落ち着きはらった声で語りかけると彼女が肩の力をすうっと抜いた。まだ若干心配そうではあるが、少しは落ち着きを取り戻したみたいだ。


「双葉さん、この怪物……」
「一緒に送られてきた映像も見たから成り立ちは大体分かってるわ」


 此方の意図を汲み取って力強く双葉が頷く。その映像を今見せないのは何故なのか一瞬だけ考えてから、近くに合川がいるからだという理由に思い至った。多分その映像には普通の女の子に見せるには少々キツいものが含まれているのだろう。見た目が既にグロテスクな怪物なだけに大いにありうる。
 映像の話題は敢えて飛ばすことにして、代わりに違う話を双葉に振った。


寄生獣(パラサイト)、なんですか?」


 泥で出来たみたいなこの容貌――双葉が研究室に来た際聞かされた、月村佐奈とは別の創造主の創った世界に発生した、自然物(つまり世界)に寄生するという寄生獣(パラサイト)を自然と彷彿とさせる。もしもこれが件のそれであるならば、此方の世界も本格的にヤバくなっているということになる。


「幸か不幸か、違うみたいね。あれは核とも呼べる巨大化した(アノフェレス)が、(アノフェレス)とそれから別のものを寄り集めただけの全くの別物よ。差し詰め寄生獣(パラサイト)の出来損ない――失敗作ってとこかしら」
「失敗作……」“別のもの”の方も気にならないでは無かったがわざわざ双葉が言葉を濁すということは合川に聞かせてはならないものなのだろうと深くは聞かなかった。


(アノフェレス)特有の厄介さを兼ね揃えた子みたいで参ったわ。攻撃したらその傷口から(アノフェレス)が出てくるみたいでね……」


 言って、何の前触れもなく映像を切り替えた。いつの間に合川のコンピューターを扱えるようになっていたのだろうとライアンとしては関心するばかりだ。それほど難しい作業では無いことを彼は知らない。
 次に映ったのは失敗作が双樹の力で脇腹を抉られた瞬間を写したものらしかった。内臓だとかそんなものは一切無いことがありありと分かるほどに体の中心部まで肉塊(土塊?)が裂けている。


由理(アテナ)、まだコンタクトはしてるわね? この映像をそれで見て確認してくれないかしら。(アノフェレス)がどういう動きを取っているのか」


 言われて改めて合川の顔を見下ろして、彼女が片目を手で覆っていることに気がついた。コンタクトレンズを外すタイミングを計りかねて結局そのまましていたのだろうと思う。
 頷いて、彼女が今度は右目だけで液晶画面を仰ぎ見る。何が見えたのかは聞くまでも無い。軽く眉が寄せられたのが何より雄弁に語っている。


「……(ボス)の言う通りみたい。傷口から――多分抉られた分だけの(アノフェレス)が、外に出てる」


 やっぱり、と双葉が呟くのが耳に届いた。


「となるとむやみやたらに攻撃するのは得策ではないわね」
「それじゃあ一刻も早くその情報を任務先の彼女たちに伝えるべきでは?」
「幸いなことにその心配は無いみたいよ。あの子の第六感は信頼出来るから」


 自分では至極尤もなことを言ったつもりだったのだが、くすりという悪戯っぽい笑みにそう返された。少し意味を考えてから双葉の言う“あの子”が秋風を指しているのだと気付く。
 知っているなら知っているでまた別の問題が顔を出してくるのだが。


「……どうやって片付けるつもりでしょう」


 神妙な声が口から漏れた。
 もうコンタクトは必要無いと判断したのか、右目から外しにかかる合川の肩がぴくりと反応して自分の失言に気付く。余計なことを言ってしまった。今は彼女に心配をかける場面ではない。


ライアン(アイオロス)、貴方が自分で言ったんでしょう? 大丈夫よ、あの子なら何とかしてくれる」


 当たり前みたいに言われて少しだけ方の力が抜けた。双葉にそう言ってもらえると自分の言葉の何倍も説得力があるように聞こえるから不思議だ。常に冷静に対応する、彼女のそんな性格が影響しているのだろうか。
 気がつくと触れていた合川の肩からもまた力が抜けていた。それに呼応するように彼女が発した言にも不安げな色は垣間見られなくて、何となくほっとした。


「……(ボス)、物は相談なんだけど、『天支』から寄生獣(パラサイト)の情報何か貰えたりしないかな。あれが寄生獣(パラサイト)とは違うとしても、情報を貰うのは無駄なことじゃ無いと思うんだ」
「そうね、佐奈(ディオネ)にでも話してみるわ。出来れば失敗作――ジャンクの手がかりを持って帰るよう、真佳(シャパシュ)たちにも伝えておきましょう」


 双葉の答えに合川が薄く微笑ったのが見えた。
 その表情には先ほどの“か弱い女の子”の顔はどこにもなく、変わりに『鎖神』の研究者らしき凛とした光が瞳の奥に宿っている。頑張り屋さんだ、とまた彼女の見解を新たにする。色々な側面を見せる彼女は、こんな時になんだが見ていて非常に面白い存在であるようにライアンには思えたのだった。





†頼りはうちの魔女一人†

執筆:2006/09/21
加筆修正:2009/09/12