窓の外から差し込む光がいつの間にかオレンジ色に染まっているのに気がついた。
 任務に就いてからどれだけ経ったのか、時刻はもう夕暮れ時のようだ。あまり長居すると感染者になってしまった人の家族とかが学校に連絡してくるかもしれないから急がないと。……大学で流石にそれはないか。
 戦の舞台となったのが小学校でなかったことに内心酷く感謝しつつ少しだけ肩の力を抜いて、それでも勿論走る速度は落とさずに廊下を駆ける。無理矢理に腕を引っ張る形になった楓ちゃんの方も幸いなことに体力はあるようで何とか付いてきてくれていた。あの失敗作、結構スピードあるから非常に助かる。残りの八十人(五人くらい失敗作に食べられてたから七十五人?)の感染者の相手もしなきゃなんないし、体力は出来るだけ温存させておきたい。
 べたん、べたん、べたん。粘着質のあるぞんざいな感じの足音が追っかけてくる。何かを疑うこともなく真っ直ぐこっちに。有り難いくらいに素直でほっとする。さっき喋ったのとか(くう)くんの能力を見抜いて行動したのとかが全部嘘に思えてきた。


真佳(シャパシュ)、一体どこに向かう気ですのっ」


 荒い息の隙間にねじ込むような声が後頭部にかけられた。
 ちょっと考えてから人差し指を唇に添えて、顔の半分だけ振り返り声には出さないままに“内緒”と答えてやる。当然だろうが楓ちゃんが怪訝そうに片眉を跳ね上げた。


「まー安心して。あれ倒す手段は何となく分かったから」
「え」


 後ろを追いかけてくる楓ちゃんと双樹の声が奇しくも重なった。契約した者同士ずっと行動を共にしている分、色々と似やすいのだろうか。何か可愛くてこんなときだけどちょっと和ませてもらえてほっとした。らしくなく焦ってたような感じがしてたから助かった。


「って言ってもただの勘だけどね。根拠は全く無いよ」


 飄々と言って更に階段を下りにかかると「だと思いましたわ……」呆れたような声が頭のてっぺんに降りかかってきた。フィーリングって結構大事だというのに。ちょっと唇を尖らせつつ最後の三段は飛び降りて、踊り場から更に下、一階に向けて駆ける。飛び降りたとき後ろで可愛らしい悲鳴が聞こえたことでそういえば今自分は女の子の手を引いているのだということに改めて気がついた。自分の基準で走り回っちゃ駄目なのだな。難しい。
 角を曲がってあと数メートルばかし細長く伸びる廊下を駆ける。窓から夕暮れ時の陽光が差し込んで、感染者も一掃してしまった後なので余計に寂れた、放課後の旧校舎みたいな印象を持つ。多分全部終わったときにはこの学校は生徒や教師が一日にしていなくなった曰く付きの学校として取り壊されてしまうだろうし、そもそも任務のおかげでゾンビ屋敷みたいなイメージが強いのでどっちかというとうらぶれた廃墟か。一気に侘しさが増した。


「しょくどう……?」


 出入り口に備え付けられたプレートの文字を怪訝に読み上げる声が首裏にかかった。答えることなく戸口をまたぐ。長方形のテーブルが二列に渡り整然と並べられた比較的広い部屋だった。楓ちゃんの言う通り、この学校の食堂である。
 自分の背後に視線を送る。きょとんとした白銀色の双眸が見えた。その後ろに腐った人間の肌みたいな緑色に全身を覆われた失敗作が猛然たる勢いで真佳ら目掛けて突進してきている。無機的な印象を受ける瞼の無いむき出しの眼球とそのスピードに思わず足を地面に縫い付けられそうになって視線を前に戻した。付いてきてるならそれで良いけど、あの猛気は立派なホラーだよなあ。
 走りながら数度ばかり左右に視線を巡らして繋いでいた手を離した。この短時間で説明と納得させるのとを確実に終えられるとは思ってなかったので楓ちゃんを部屋の隅に追いやって、


「双樹、(ラクシュミ)ちゃんの周り蔦か何かで覆って“あれ”が突撃出来ないよーにガードお願い」
「は?」
真佳(シャパシュ)、ひとり? 大丈夫?」
「うん、勿論」


 不安そうな顔をしていながら与えられた任務に対する理解力と判断力が高いのは有り難いところだ。部屋の隅でまだきょとんとしている楓ちゃんも、双樹になら任せられるだろう。何の躊躇もなく踵を返す。
「ちょっ、真佳(シャパシュ)ッ! 何考えてますの!!」若干くぐもって聞こえる声に双樹がこの一瞬の間に能力を発動してくれたのだと、それだけを理解した。説明するのなんか端から諦めてる。


「ぐぅゥゥゥ……」


 獣の低く唸るような声に視線を引き付けられた。
 獲物を巣に追い込んでやった、みたいな、どこか勝ち誇った風な唸り声。


真佳(シャパシュ)!!」


 食堂に踏み込んできた空くんとフォー・セブンさんに同時にコードネームを叫ばれて、ちょっとだけ照れ笑いみたいなものが浮かんだ。フォー・セブンさんには否定されそうだけど、何と言うか心配してもらってるみたいな感じがひしひしとする。有り難い。心配してくれる人がいるということは、どんな絶望的な状況下でも生を諦められないということだから。


「だいじょぶ、だいじょぶ。二人は手ぇ出さないよーにね。この子との決着は私がつける」


「は?」楓ちゃんと同じ言葉で怪訝に眉を顰めた空くんに比してフォー・セブンさんの方は完全なる無言にプラスして呆れ顔である。あーもう好きにしろみたいな雰囲気がびしばし伝わってきて苦笑が浮かんだ。どうやって決着をつけるのか、なんて彼は知らないはずだが、結構信頼されていたりするのだろうか。だとしたら嬉しいけれど。
 視線を失敗作の方に戻した。もう余所見はしなかった。


「さーいらっしゃい。私が相手してあげましょう」





†覚悟/非力/不屈の心†





 不遜でありながら切なげであり、どことなくすっきりした感もある、決して一言では言い表せない複雑怪奇な表情を見せた彼女は、おちゃらけた尊大な言い回しを緑色の化け物に投げかけて此方に一瞥もくれないまま実にあっさりと食堂の奥へ走っていってしまった。挑発に乗ったかそれとも本能的なものか、化け物の方も後ろの餌には目もくれず真佳の後を追っていく。


「まっ……!」


 思わず踏み出した一歩を「止めとけ」左斜め上から降ってきた声に制された。視線を跳ね上げて不信のたっぷり塗りこめられた視線で男を射抜く。止めとけって? 何言ってるんだ、女の子が化け物と対峙してるんだぞ。


「テメェが行ったとこで足手まといになるだけだろーよ。下手に時空操ってまだあの怪物が暴れだしたら手に負えねぇ」
「そりゃそうかもしんないけど、」


 自然とむくれたような声になった。正論なだけにこんな緊急時に煙草引っ張り出して火ぃつけるような奴に言われると腹が立つ。
「手ぇ出すなっつーことは外野にちょっかいかけられたらあのガキの思い描いてるシナリオに支障が出るっつーことだろ。少なくとも戦闘においてあのガキはそう頭は悪くねぇ。とっととこのふざけた任務終わらせてぇんなら指くわえて待ってることだな」と、天井に下がる蛍光灯目掛けて煙を一吹き。どうやらこいつには仲間を思いやって焦燥するとかいう思いやりの感情が確実に抜け落ちてるようである。心中で憤慨するだけで実際口には出さないが。


「割り込み、駄目。邪魔なだけ」


 隅の方に幹の城壁みたいなもの(多分楓を匿うためのものなんだろう。双樹は契約者の安全を何より第一に考える節がある)を作り終えたらしい双樹にまで言われて納得いかないまでも口を噤んだ。所詮自分は今まで争いごとからは率先して逃げ帰ってきたばかりの一般人で、戦い慣れた彼ら彼女らにその手の経験や知識で勝てやしないのだ。そんなことはずっと前から分かっていた。ただ無力なりに何か出来ることはないかと、淡い期待を抱いていただけで。

(無事でいてくれよ……)

 実際にはそうやって祈っているだけしか出来ない。だからと言って自分の無力に嘆き鍛錬を積むみたいな少年漫画でありがちの展開を繰り広げる覚悟すらない。
 ただ誰にも傷ついて欲しくないだけなのに。
 その願いが只管自分を中途半端な存在に仕立て上げていく。



■ □ ■



 失敗作に言語能力はあっても戦闘における思考能力がそれほど高くないことを、これまでの彼(彼女?)の動作を振り返って確信した。確かにそのパワーとスピードは大したものだが当たらなければ意味は無い。そもそも今自分は失敗作と刃を交えるつもりは毛頭無いのだ。
 獲物を狩るために発達したみたいな鋭い鉤爪のついた腕が此方の顔を鷲づかみにせんと素早く伸びる。軽く顔を傾けて回避。逆にカウンターで相手の腹部を蹴りつける! あれだけの巨体を吹っ飛ばすのは流石に無理があったが、数歩ほど後方にたたらを踏んでくれた。体勢の崩れた今を狙って追撃を――


「――っと!」


 最後に踏みしめた片足を軸にして、逆にこっちに突進されてあやうく右横に飛び退った。最初から加減する気は無いのか勢いを殺す素振りすら見せずにそのまま真佳と失敗作とを結んでいた一直線上を真っ直ぐに突き進んで、
 直線上の終点に当たるシンクに失敗作が体当たりすることでブレーキがかかった。かなり騒々しい音を立ててシンク上に詰まれていた鍋やらの調理器具がタイル張りされた床にぶちまけられた。今、確実にシンクにヒビが入るような音を騒音の合間に耳にしたような。


「ガッコ破壊する気ですか……」


 空笑いみたいな声が自分の口から漏れ聞こえた。全てが終わった後のニュースが怖い。
「ぐぅ……」低い獣の唸り声が聞こえた。
 シンクに半ば埋まる形になっていた失敗作が白濁色の恨めしげな双眸で此方を、つまりは自分を見つめる。何となく睨まれたような気がした。魂に深く根を張った怨恨の情が奴の目を通して伝わってきたのかもしれない。不覚にも寒気がした。
 とは言えその感情がどこから来るものかは分からない。さっき避けた分とか蹴った分とか、そういう軽いものでは無いような気はするが。
 視線を此方に固定したまま失敗作がゆらりと勿体つける動作で立ち上がる。その動作に即座に思考を断ち切って、考え事に使ってた分の脳も総動員して失敗作に意識を向ける――と、何の予備動作も無く失敗作がこっちに向かって再び猪よろしく突進してきた。


「わ、ちょ……」


 喋れはするが知能は明らかに人間以下!
 胸中で決定を下して先ほど同様地面を蹴る。しかし前ほどには余裕を持って行動出来ていたわけではないので飛び退った場所で若干体勢を崩した。右の肩口がニットロングコート越しに電化製品(多分冷蔵庫)の冷たい感触に触れる。直後。
 聴覚を満たした地面を強くこするような急ブレーキ音にはっとして顔を振り向ける。
 振り向けたときにはもう奴は此方に進路を変更していた。


「……っ!」


 失敗作に関する思考パターンを脳内で書き換える暇すら今度は与えられなかった。
 自分の呼気で息がつまる感覚。胸郭があり得ない力で押さえつけられて「く……ぅっ」掠れた声を肺に残った空気を使って吐き出した。視界が軽くちかちかする。
 電化製品と失敗作、気が付いたら二つの間に挟まれる格好で荒い呼吸を繰り返していた。咄嗟に胸前で腕をクロスさせ、腕にかかる力の矛先を若干下方に逸らすように前かがみになったことが良かったのか、幸いなことに腕やら肋骨やらは折れていないっぽい。折ってたら本拠地帰った途端一体どんな憎まれ口を叩かれるか。
 ただし胃への圧迫感が半端なくて、血反吐に似た何かを吐き出しそうになるのを寸でのところで堪えるのに苦労した。


「……っの……」


 左腕だけでこの巨体を相手にするのは無謀と言うものだがこのままだと確実に押しつぶされることは明白なので致し方ない。目一杯力を込めて失敗作と自分の体との間の僅かな隙間を作り、右腕だけを一端体の横にだらりと下げる。若干腕が痺れてはいるがまだ使えないほどじゃあない。
 それだけで腹及び左腕にかかる負荷は相当なもので声も無く息を詰まらせつつ上着の袖から一つ、大振りのクナイを取り出した。
 逆手に持って振り上げた。脇腹など刺そうが大したダメージは期待出来なかったので狙いは初めからただ一つ。一回だけ振り上げた体勢のままで動きを止めて、それから
 失敗作の背中側の心臓部目掛けて、思い切りよく突き刺した。


「ぐァ……っ!」


 場所が場所だけに失敗作が苦しげな声を漏らす。体に纏う泥が分厚いため心臓(あるとして、だが)に刃先は届かなかっただろうが、多分その刃の先に何があるのかは理解しているのだろう。「くぅ……っ」滅茶苦茶に抵抗する失敗作に更に電化製品に背中を押し付けられながらも、何とか出来た隙間に足を割り込ませ強引に失敗作を蹴りつけた。相手も確と地面は踏みしめていなかったようで今度は結構な距離を飛ばすことが出来た。


「けほっ……」


 軽く咳き込んでから肺に空気を送り込む。いきなり送られてきた多量の酸素に若干肺がずきずきしたが悶えてばかりもいられない。敵はまだ戦闘不能に陥ってはいない。
 細く長い息を吐いて真っ直ぐに失敗作を見据える。パニックは収まったのか、先ほど刺したとき一瞬見た、危険物に怯え威嚇する目はしていなかった。
「グ……」さっきよりか一層低い声色で、両腕をだらりと垂れむき出しの眼球で真っ直ぐに睨み据えてくる失敗作に内心うわあと頬を引き攣らせた。どこぞのゾンビ映画に出てきても可笑しくない異様さに冷たいものが背筋を這い上がってくる。
 ――ダン!
 失敗作の右足が強くタイル張りの床を叩いた。それが合図。
 馬鹿の一つ憶えみたいにまたまた直線上を突っ走ってくる失敗作に視線を固定したままそうそう同じ手を食らうもんですかと心の中で舌を出す。でもまだ動かない。これは云わばチキンレースだ。
 真佳の体に到達するまで残り数十メートルというところで失敗作が跳躍した。おおよそ人間離れした躍力で狙い違わず真佳の頭上辺りで放物線を描くように下降し、その勢いのまま真佳の頭上に鋭い鉤爪を振り下ろさんと腕を振り上げる――
 ばくばくと存在を主張するようになり続けていた鼓動と一緒に心の中で数えていたカウントダウンがゼロを指した。
 後ろ手に電化製品の取っ手を引っつかむ。そのまま横に移動すると同時に渾身の力で業務用の巨大な冷蔵庫の扉を開いた。跳躍したままどう頑張っても勢いを殺すことの出来ない失敗作が見えない糸に引っ張られるように冷蔵庫の中に吸い込まれていく、その様に。


「チェーック、メイト!」


 取っ手を掴んでいない方の手でハーフパンツの尻ポケットに手を伸ばす。酷くぞんざいな手つきで引っ付かんだ十センチ程度の棒状の黒い物体を片手だけで器用に折り曲げ、何の躊躇もなく冷蔵庫の中に放り込んだ!
 中で壁に激突している失敗作と一瞬だけ目が合った。何かに怯えているような、今の現状を危険なものと本能的に察知しているに違いない獣の眼。
 一瞬の隙も与えぬままに即座に扉を閉めやった。何の感情も浮かべぬままに設定温度を最低レベルにセットした。由理の話ではさっきの冷凍剤、真ん中に入れられた切れ目で折れば僅か数分ほどで周りの温度を氷結点まで引き下げるという話だったから、最低温度の冷蔵庫にでも放り込めばたった数秒ほどで多分凍ってしまうだろう。
 さっきの失敗作のあの眼――あの眼には悪いが当初の予定通り倒させてもらう。真佳だって何の覚悟もなしに『鎖神』に身を置いたわけでは無いのだ。世界の安寧を守るために感情主体にならないようにしようって、色々我慢しようって決めていた。
 十秒。予想より多く見積もってそれだけの数を数えてから、漸く取っ手に手をかけた。


「…………」


 でもちょっと待てよ。凍結させただけじゃ明確に“倒した”とは言えないんじゃないだろうか。このままずっとかちんこちんに固まらせとくわけにはいかないし、仮に本拠地に持って帰ったとしても今後同じような敵が出てきたら置き場所に非常に困る事態になるのでは?
 …………。失敗作みたいなのが一杯いる部屋というのは何というかグロテスクで出来れば遠慮したいなあ。


フォー・セブン(タルタロス)さーん」


 右の手のひらを口元に添えて食堂の方に声を張り上げた。それと同時にひょいと厨房と食堂とを結ぶ扉からちょっとだけ顔を出してみる。「あー?」一拍遅れて間延びしたフォー・セブンさんの声が聞こえてきた。真佳のお願いを守ってくれてるみたいなのは有り難いのだけど、その緊張感の無さはどうなのだろう。自分が言えた義理ではないが。


「使い捨てライター持ってませーん?」
「……ンな安っぽいのは持ってねーよ」
「嘘だねっ。佐奈(ディオネ)が『フォー・セブン(タルタロス)はあれで結構几帳面なとこある』って言ってたもん。ライターのスペアとかに使い捨て持ってるでしょ。ちょっと貸してちょーだい♪」


 ちっ、とかいうあからさまな舌打ちがフォー・セブンさんから離れた此処にもしっかり届いたような気がした。だって今凄く機嫌悪そうだ。


「ちゃんと返すんだろうな」
「…返すことは返すよ?」
「すっげー含みある言い方だなオイ。貸したくねー……」


 などと独りごちつつもつま先をこっちに向けてくれてる辺り律儀だ。やっぱり佐奈の言う通り、なんて内心ほくそ笑みながら後頭部を掻き混ぜながらいつも通りの気だるげな足取りのフォー・セブンさんを大人しく待つ。
真佳(シャパシュ)、拘束」双樹ちゃんがちらりとこっちを見てから、楓ちゃんが入ってるらしい幹の壁をちょんと指差す。ちょっとだけその意味を考えてから、「あ、うん、もう開放してあげてもいーよ。ありがとねー」楓ちゃんの拘束を解くことに許可を下してみたりした。失敗作は今冷蔵庫の中でかちんこちんに凍ってるし、危ないことは多分無いだろう。
 不機嫌の極みにでも突入していたりするのか、無言のまま放り投げられた使い捨てライターを片手でキャッチさせてもらう。そのまま何の予備動作もなくガスの出る部位を覆っている金属部分を引っぺがした。


「ちょっ、オイ!!」
フォー・セブン(タルタロス)さん、ここらに霧吹きって無いですかね」
「はぁ!?」
「あと燃料用アルコールか灯油かガソリン」
「……燃料用アルコールなら実験室なんかには揃ってそうではありますけど――」
「……お前、なに作るつもり?」


 すっかりキレ気味のフォー・セブンさんに対し後からひょっこりと顔を出した比較的冷静な楓ちゃんと空くんに(ただし空くんは嫌な予感でも感知したかしっかり頬を引き攣らせている)、当人にとっては全く邪気の含まれていない純粋な笑みで真佳が言った。


「火炎放射器、作ろうと思って☆」



■ □ ■



「…………」
「…………」
「あらまぁ、派手にやっちゃってるわねぇ」


 なんていう苦笑交じりの言の葉でこの光景を軽く往なせる人はこの場では蓮さんしかいなかった。というか、多分殆どの人間が由理やライアンみたく絶句する選択を余儀なくされただろうと胸を張って言える。何でただ単純に現場の様子見てみたいがためにパソコン弄っただけでこんな……
 ……こんな、華奢な女の子が火炎放射器ぶっ放してるなんていうとんでも映像が映りますか!!


「……真佳(シャパシュ)? なに、やってんの……?」


 失敗作の件で連絡しようと引っ張り出してきていた通信機(研究室にいる全員に聞こえるようにそれ専用のやつ)で語りかける。声は自然と引き攣った。


由理(アテナ)? 敢えてその言い回しってことはこっち見えてる?』
「……うん、双樹の持ったウエストポーチにカメラ仕込んでるからそれで」
『あー、成る程』
「……で、なに、やってんの……?」


 この会話の最中にも真佳の声の後ろで炎を噴射する音が確と届けられている。信じがたいことだがこの映像はどうやら本物らしい。ドッキリとかじゃ無いみたいだ。非常に残念なことに。


『今? 失敗作燃やしてる』
「だよねー」


 こっちはもう空笑いしか浮かばない。


「あらあら、燃やしちゃったの。一応聞かせてもらうけど、その子の体の一部、どうにかして持って帰ってこれないかしら」
『え゙、いるんだった?』
「出来れば、だけれどね?」
『ごめん、もう殆ど燃やしちゃった』


 もう半ば諦めてはいたことだが改めてそう言われると何だか言葉がずしんと頭上に圧し掛かってくる気がして落ち込む。これで失敗作(ジャンク)に関する研究は、少なくとも暫くは出来なくなったということだ。『鎖神』の役に立てると期待していただけに余計肩が下がってしまう。
 その肩の一方に誰かの手が触れて少しだけ視線を跳ね上げた。


「軽い休息が出来たってことで良いじゃないですか。いつも合川(アテナ)さんの発明品には助けられて貰ってますから、少しはお休みしてください」
「そうしたいのは山々なんだけど、暫くは失敗作のことが頭をチラついてゆっくり休めそうにもないわ……」
「それじゃあ休息の意味が無いですよ」


 そう言って微苦笑するライアンの好意に甘えたい気はするのだが、こればかりはちょっと譲れそうに無い。研究対象を逃した研究者っていうのは気持ちが回復するのに時間がかかるもんなのだ。


「――まぁ、良いわ。任務はまだ続きそうなのかしら?」
『んー、うん、まだ四階に感染者が残ってるだろうから、それ片付けにいかないと』
「そう、分かったわ。じゃあ終わったらまた連絡して頂戴」
『ん、りょーかい』


 その一言で通信が途切れた。壁一面を覆う液晶画面に目を移すと相変わらず自前っぽい火炎放射器をぶっ放しながらあれこれ現場のメンバーに伝えてるらしい真佳の姿が映っている。いつもは頼りに見えるその立ち姿が今では何故かうらめしく思えてくる。くそう……。


「さぁて、それじゃあこっちもそろそろ動きましょうか」
「動く……? どこにですか?」


 きょとりと目を瞬かせるライアンに、呆れるでも疎んじるでもなくいつもの気さくな感じの笑みを形作る。パーツとそれの配置バランスが良いので蓮の微笑は見栄えがする。


「この場合は私の部屋か『鳥籠』かしら。寄生獣(パラサイト)の件で佐奈(ディオネ)にお願いしに行かなくちゃならなくなったでしょう?」


 そう言われてみればそうだったのだ。一先ずは『鎖神』の前に立ちふさがる可能性が高そうな失敗作(ジャンク)に関する資料を集められるだけ集めようと内心で焦燥していただけに、そっちが塞がれてしまったことでどうやら自分は必要以上のショックを受けてしまったようだった。その影響で思考停止なんて、『鎖神』唯一の天才発明家として恥ずかしい。
 失敗作(ジャンク)寄生獣(パラサイト)の“出来損ない”だったなら、そのヒントも寄生獣(パラサイト)に隠されているはず――。気を持ち直してツバを飲み下した。胸の前で組んだ両手の下でいつもより早く脈打つ心臓がうっとうしいがそれ以外はいつも通り、平常を保てている、はず。


「さ、こっちもまだまだまだ任務は終わらないわよ」
「……はいっ」


 いつもより力強い声が自分の口から飛び出した気がした。

執筆:2006/09/23
加筆修正:2009/10/11