佐奈(ディオネ)、そこで聞いていたでしょう?』


 断言的な物言いに苦笑する。確かに“見て”いたのは事実だがこうまであっさり言われるとなあ。折角の機会なんだからお母さんはお前らと一緒にスパイごっこを楽しみたいというのに。神的扱いをされると興醒めじゃないか(我が侭極まりないことなのでこれは言わないでおく)。


(ボス)? 聞いてたよー。寄生獣(パラサイト)の情報ゲツりたいから『天支』の創造主たる柳乃朋美ちゃんに連絡取ってくれ、でしょ」
『そう。飲み込みが早くて助かるわ』


 受話器越しににこりと視線を惹き付けられるような綺麗な笑みを浮かべているのが易々と想像出来て知れず乾いた笑みが漏れていた。店長席の上で組んでいた足を組み替えカウンターテーブルに頬杖をつく。
 麗しいのは良いことなのだが何だか上手く操られているような気がしてならないのは何故だろう。蓮を腹黒に創った覚えは無いので自分の気のせいだろうとは思うのだけど。


寄生獣(パラサイト)に関すること全部、で良いんだよね」
『ええ。どんなに小さなことでもこっちに送って頂戴。少しでも由理(アテナ)の仕事が楽になるようにね』
「はいはい、りょーかい。ところで(ボス)真佳(シャパシュ)らの方は今何人まで感染者卒倒させましたかね」
『あら、見てたんじゃないの?』
(ボス)らの方を見てた。一遍にいくつもの世界を見たりは出来ませんよ」


 だからこそ今困った状況にあるわけだし。
 もしも月村佐奈に多くの目が存在していれば逸早く(アノフェレス)の存在をあぶり出しもっと早く対応出来ていたのだろう。そう思い出すとやりきれないので深く考え込む前に無理矢理思考を断ち切った。


『それにしては今まで事件発見がいやにスムーズだったような気がするのだけど?』
「うちには“異世界案内人”っつー頼もしい組織がいますから。そいつらに協力してもらって(アノフェレス)が関わっていると思われる事件を全部こっちに報告してもらってるんです。あいつらの頭目は私と違って全ての世界を見通す力のある奴ですからね。ま、報酬はバカ高いんですけど」


 片頬に苦い笑いをのせてティーカップを持ち上げる。最近はまっているのはアールグレイ。埃まみれの『鳥籠』で飲むのももう慣れた。
 紅茶を喉に流し込みながら視線の先でたゆたう液体に彼らの顔を浮かべていた。
“異世界案内人”。その名の通り異界を自在に飛びまわれる能力を持つ者の総称である。誰かに創りあげられた世界ならどこへでも赴くことが可能であり、時には異界に渡りたいと申し出る者の橋渡しにも応じているという。無論そんな彼らにも制約はあるがそれでも世界と世界の垣根が他より格段に低いというのだけは事実だ。
 他の団体に媚びない連中の集まりとも言える閉塞的な組織体であるところの“異世界案内人”が言うことを聞いてくれたのは僥倖だった。彼らの協力無くしては『鎖神』が(アノフェレス)と対峙することなど出来やしない。所詮は定められた世界に生まれ育った『鎖神』の連中では、佐奈がどれほど手を加えようとも結局は世界に縛られたままなのだ。数多世界を救うためにはそんな世界に縛られない者の介入がどうしても必要となる。


「そんで、真佳(シャパシュ)らの方はどうなったんでしょう」


 陶器同士が軽くぶつかりあう甲高い音を故意に発してティーカップをソーサーに置いた。今は異世界案内人のことよりも真佳らの任務状況の方が気にかかる。
 受話器の向こうで、何かを確認しているみたいな沈黙があった。目を閉じて瞼の裏に『鎖神』本拠地の地下研究室を思い浮かべる。面積は広いが様々な機器類がそこらに置いてあるためごみごみした印象を受ける部屋の中で、二人の人間が動いているのが見えた。感覚的には監視カメラとかテレビなんかを液晶画面越しに見る感じ。
 研究室に(はちす)がいないことはすぐに分かった。それじゃあ執務室の方かとチャンネルを切り替えるみたいに執務室の方に意識を向けようとしていると、


『丁度今終わったところね。もうそろそろ「鳥籠」を呼び出すところでしょう』
「……そう」


 タイミング良く蓮の声が飛んできたので瞼を上げた。まあ多分佐奈が一時的に学園中に設置した監視カメラの映像を見ていただけだろうから無理に視ることもなかろう。


『あの子たちが戻ったら、任務現場に置いたカメラの撤去と結界の消除、武器及びあの子たちが“いた”痕跡を抹消するのを忘れないでね、佐奈(ディオネ)。あの世界の警察が介入してくるのも時間の問題でしょうから』
「うーい」


 適当に返事をしながら頭の中で言われたことをそのまま反芻する。毎度やっていることではあるがだからと言って事態を甘くてみて油断すると途端に凡ミスをしでかすのが自分というやつだ。この件については殊更慎重にいかなければ。


『じゃ、そろそろ切るわね。寄生獣(パラサイト)の件お願いしたわ』
「りょーかい」


 向こうから切られるのを待ってから受話器を置いた。蓮の執務室にある電話と同じ、今時アンティークな感のあるそれにうっとりした目で睨めっこしてから(アンティーク最高!)カウンターの奥に視線を投じる。


「千! もうすぐお客様がくるのでお茶の用意お願いします!」
「はぁい!」





†鶴望の傍らでローズティーを†





「これが、」由理の唇から短い言葉が流れるのと同時に壁一面を覆うメインコンピュータの液晶画面が切り替わった。画面いっぱいに表示された血液内部の画像に本来ならばあるはずのない粒状の物体が、カリフラワーを彷彿とさせる形状で寄せ集まっている。いわゆる卵塊というやつに近いか。


(アノフェレス)のたまご。イメージ的には海産無脊椎動物の卵みたいな、殻の無い受精膜のみに包まれたものに近いと思う。これが空気に触れるだけで、十匹から二十匹程度の(アノフェレス)が一斉に孵化する。いわゆる幼虫期っていうのは多分無くて、孵化すると同時に成虫とほぼ同じ能力を兼ね揃えてるんじゃないかと思う。ここら辺はもっと詳しく調べないと断言は出来ないけどね」


 由理の視線が蓮の背後にある机の上にシフトした。雑然と詰まれた研究用具の中、異彩を放つ巨大な丸底フラスコを思わせるケースがでんと乗っかっているのを横目で確認してもう一度由理の方に視線を向けた。
 ガラスケースに入っているのはつい数時間ほど前に孵化したばかりの(アノフェレス)。明言こそしなかったものの、恐らく由理の頭の中ではこれらの解剖も必要措置として確固たる存在を持ってそこにあるのだろう。普通の女子ならまず考えないことではあるが、彼女は天才を自称とする発明家にして研究員。その手の思考に一般とのズレがあるのは推し量れば分かるはずだ。


「で、これがこのたまごを拡大化したもの。デジタル顕微鏡の倍率じゃあ此処まで拡大は出来ないから、画像化して拡大かけたやつね。その分画質は悪くなったけど」


 などと言う割には然程酷いノイズがかかっているようには見えなかった。由理の言う“普通”のレベルが一般よりも高いところに設定されているのが原因だろう、少しでも想像に見合わない出来になったものに彼女は安易に満足したりしない。
 改めてメインコンピュータのモニターを視界に映す。(アノフェレス)のたまごの拡大画像は蓮も初めて見るものだ。
 由理が“幼虫期は無い”と言った通り、半透明の膜に押し込まれているそれは蓮の知る蚊の容貌に果てしなく近かった。細長い体形に付属するみたいな六本の足は細長く、丸い頭の口部と思われる場所からはストロー状の口吻が伸び、背部には今にも背景に溶け込むのではないかと思うほどに薄っすらとした二枚の翅が生えている。クリオネみたく目以外の体躯が透明でなければ夏場普通に見かける蚊と決定的な違いは無いように思えた。
 その透けた胴体の中に不自然に不透明な塊があった。
 拡大画像で見るならばそこらに転がっている小石のような大きさの、歪な四角形をした赤い塊。


「あの赤いのが、(アノフェレス)の核かしら?」


 由理が唇を閉ざすのを見計らってから口を挟んだ。由理がこくりと重々しく頷いた。


「多分だけどね。あれを口吻から生き物の血液中に刺し込んで自制心を麻痺させる。その他にもう一つ、この核には役割があって――」
「あれがこのたまごのもとになんねんな?」


 床を這う配管状の何かに腰掛けた天音が由理の言葉を代弁した。「……そう。血液中に潜んでものの数分で十個から二十個程度のたまごを発生させる」


「≪核≫が全ての元凶というわけか」
「そう。でもだからこそ生物が(アノフェレス)に植え付けられたたまごの数に上限がつく。≪核≫一個の影響力は凄まじいみたいで、一匹の生物につき一つまでしか血液中に送り込むことは出来ないみたいだから」
「厄介なのには変わり無いな。たまごが孵化すると同時に≪核≫の影響力が途絶えることは無いのか」
「今までの感染者の言動からそれは無いと思う。卵塊に囲まれるみたいにして≪核≫が存在してると考えた方が自然かな」


 ふぅんと納得したのかしていないのか良く分からない呟きを漏らしカオスが視線を横に流した。ちらりと思案顔で視線の先を液晶画面にシフトしたのを見るに、一見素知らぬ顔を浮かべていながら内心は真摯に耳を傾けてくれているのだと分かる。
 真佳らが任務から帰って来次第『柘榴石』の面々に召集をかけたのだ。かなり唐突な召集だったため一抹の不安を覚えていたのだが、幸いなことにいい加減な気持ちでこの場にいる人間はどうやらいないようだった。


「実はこれまで何で≪核≫を送り込むのかが理解出来なかったんだけど、これで漸く理解できたよ。子孫を残すためだったんならこの行動も納得できる」


 神妙に頷いた由理のそれは此方への解説というよりは独り言に近かった。単純に理解の及ばない問いに解答を見出せたことが嬉しいんだろう。漆黒の双眸が子どもみたいに輝いている。


「で? (アノフェレス)のたまごの件は分かったけど、失敗作(ジャンク)とかいう方はどうやったん? 何か分かった?」


 ともすれば身すら乗り出しそうなほど勢い込んで問う天音の双眸も新しい玩具を貰った子どもみたいに閃いた。反応するものが物騒なことでなければ微笑ましい光景なのだけれどと内心苦笑を漏らす。
 由理が画像を失敗作(ジャンク)のものと差し替える。ひゅう、と天音が口笛を漏らした。


「それはまだ。『天支』の方に出没してる寄生獣(パラサイト)に近いっぽいっていうのは分かってるんだけど」
寄生獣(パラサイト)の情報ならさっき、佐奈に頼んできたわ。遅くても明日までには届くでしょう」
「ふぅん。強い奴ってデータ出ればええねんけど! 次の任務には出るかなぁ。うちも接触したいわぁ。真佳ばっかずるいー」
「私も接触したくてしたんじゃないんだけどねぇ」
「何にせよこれ以上情報が無いならあれこれ推察するのは無益ってことよね。何しても同じなんだったら休憩を挟んだ方が良いと思うわ」


 頷くことでフィーの意見に同意する。蓮などはまだ良いが、真佳らは任務から帰ってきたばかりだし由理の方など昼間から働き詰めであろう。休めるときに目一杯休んでおくべきだ。


「フィーの言うとおりね。丁度そろそろご飯時でもあることだし、皆今は頭と体を休めた方が良いわ。色々と思うところはあるでしょうけど、此処で無理することで一番頑張らなければならないときにへたばってしまうのは困るのでしょう?」


 後半部分は不満顔の由理と天音の方に向けて言を紡いだ。仕事熱心な彼女らのこと、まだ色々と考えたいことがあるだろうと想像するのはその表情を見るまでもなく容易いことである。だからこそその一直線な思いが心配心を煽るのだ。
 数秒、熟考するだけの沈黙を置いてから由理が不承不承といった感じで頷いた。それを見て天音の方も仏頂面のまま首を縦に振る。ほんの僅か周りの空気が和らいだ気がした。


「じゃ、皆ご飯にしましょう。それが終わったらお茶にしましょうか。きっと疲れも取れるでしょう」

執筆:2006/09/23
加筆修正:2009/10/25