『ごめん、(ボス)。時間を待たずに使ってしまった』


 真佳の小声の謝罪が(はちす)の耳に確かに届いた。発煙筒を爆発させられたということは、今宝石商の店内は白煙の渦に巻き込まれているのだろう。音で位置を判断される恐れのある状況下、小声になるのは当然の処置だろうと思えた。


「あら。緊急事態ということかしら? 伏兵は必要?」
『んー、結構犯人の数が多いんだよね。雑魚じゃ無さそーな人もいるし、天音(ニケ)の弾は此処まで届かないしで、私とアーティ(オルフェ)だけじゃ心許ないのは確か』
「ふふ……、分かったわ。すぐに連絡するわね」
『ありがとうございます。お願いします』


 通信を切ったところでさくらと由理、四つの目に凝視されていることに気がついた。さっきの通信は蓮にしか聞こえていないはず。彼女らの反応も当たり前だろう。
 気を揉んでいる様子の由理に安心するよう微笑みかけておいてから、おもむろに唇を開いた。


由理(アテナ)。伏兵に伝えてくれる?」


 変わらず微笑を浮かべたままそうとだけ。
 由理が何か言いたげな顔をしながらもインカムのマイクを口元に近づけてこくりと頼もしげに頷く。


了解(ラジャ)。何て伝えるの?」


 持ち上げたティーカップの縁に口をつけ一口喉に流し込む。こんな時にと言わんばかりのやきもきした視線が顔面に突き刺さってくるのを感じて少し苦笑した。そんなに心配ならばさくらも『柘榴石』に属し本部にて暮らした方が少しでも楽だろうに、彼女はそうは絶対にしないのだ。一度誘って断られたのでもう誘いはしないけれど。


フィー(フルゴラ)を出動させて頂戴、と」


 目の前で由理とさくらがちらりと一瞬だけ視線を交し合った。
 今現場がどれほど緊迫した状況下であるか知らない上に下された伏兵の出動要請。普通ならばどういうことかと聞いてきても可笑しくは無いのだが、それでも異議や状況説明を求める声をかけてこないのは流石肝が据わっている、と賞賛すべきだろうか。彼女らは知っているのだ。もし一秒を争う事態であったならば、説明要求など唱えている場合では無いということを。その度胸は今後『鎖神』にとって大きな武器となるだろう。
 鋭く囁くように指示を送る由理の声を耳に聞きながら、蓮は一人微笑んだ。





†首謀者†





 二階と三階の制圧。真佳とアーティの手によってそれがなされた時点で、天音の仕事はそこで八十パーセント終わったと言っても良かった。あいつらのことだ。一人見逃してたなんていう凡ミスは犯しやしないだろう。万が一逃げ出した者がいたとしても隙間なく宝石店を包囲している治安部の連中が容赦無く捕まえるだろうし。
 まあそれでも、任務を切り上げて帰るとかルームサービス頼んで寛ぐとか、そんな勝手を起こすつもりはこれっぽっちも無いのだが。任務を任された責任がどうこうよりも、何よりさくらに怒られるので。だからライフルはまだバラさないで設置したまま、スコープで内部の様子を山並みを眺めるみたいなぞんざいさで眺めている次第。
 せめて何か面白いことがあればこんな退屈はしなくて済むのだが……現場に真佳が向かっている当たり、無責任にそういう状況は望めなかったりする。天音だって真佳に何かあったら憤らないわけではないので。


天音(ニケ)


 若干ノイズ交じりの呼び出しが鼓膜を叩いた。聞き慣れた声だ。ライフルに手を添えたまま死角にあるイヤリングに目をやって、片手でチェーンにかかった指輪を探り当てた。
由理(アテナ)? なに?」確かあいつはここ連日徹夜で研究に打ち込んでいなかっただろうか。いや、一応ある程度の予想はついてはいるが。伊達に年の数と同じだけの付き合いはしちゃいない。


『うん、(ボス)から指示が下ってね? フィー(フルゴラ)に現場に向かってくれって』
「……緊急事態か」
『そうみたい』


 先ほど案じていた事態であったためについちらりと真佳が大怪我を負ったところを想像してしまったが現実感の無い映像しか思い浮かばなかった。確かに奴は結構無茶をするのでいつ致命的な深手を負っても可笑しくは無いが、一応殺し屋相手に勝利をもぎ取れるほどの実力者であるからなあ。


「……んー、了解。フィー(フルゴラ)


 最後は背後で聞き耳を立てていたらしい(“緊急事態”と呟いたのを耳ざとく拾ったのだろう)フィーに向かって投げかけた。スコープの向こう側から視線をシフトさせた先には、好奇心旺盛な子どもみたいに栗色の瞳をきらきらさせた目玉が二つある。


「いよいよ、あたしの出番なのね?」
「そ」


 素っ気無く答えて帽子のツバをちょいと弄った。キャスケットを始め、パーカー、スウェットパンツ、運動靴に至るまで全て黒。遠目から見たらどでかい烏か何かと見紛うばかりの格好は、ちょっとお気に入りの天音の任務衣装であった。全身黒とかスパイ活動みたいで燃えるので。


「殺すなよ」
「だから、あたしは誰も殺さないわよ」


 もう一度だけ釘を打つと明らかに気分を害したみたいにぷりぷりとフィーが頬を膨らます。むしろ殺しそうなのはお前だみたいに言われてそうな。まぁ間違っちゃいないが。
 でも『鎖神』の任務でだけは、誰も殺してはいけないのだということを天音も知ってる。
 物語に関係するAという者を殺してしまうかもしれない。
 そのAという人間に関係するBという者を殺してしまうかもしれない。
 又はそのBという人間に関係するCという者を……――以下略。
 全ての事柄には因果があり、因果が狂えばそれは世界の崩落にも繋がるのである。名も無き者はいくら創造主である佐奈でも生き返らせることは出来ない。その者を構成する情報が無いからだ。失ってしまったらもう戻らない。零してしまった水を再びコップに戻せないように。
 物語にどう影響するか分らない人物がいる中で殺人事件を起こすのはあまりに考え知らずな行為であるように思われた。

 天音が口を閉ざしたのを納得と取ったか負けを認めたと取ったかは知らないがこれ以上の会話をする気はフィーには無いらしく、早々に懐からファイティングナイフを取り出し自分の人差し指の腹に傷をつけた。裂かれた一本の筋から浮かび上がった血の玉を確認してフィーが指の腹を地面に向ける。


「お出でなさいな、ライマ」


 呼びかけに呼応するように血の雫が吸い込まれるように地面に触れた。木造の床に赤黒い染みが出来るかと思われたそれは、ところが血の染みという猟奇的なものを宿に残すことはしなかった。
 そこを始点に、幾筋もの稲光が間髪入れずに流れ出したのである。光が収まったときには天音の胸下までの高さはあろうと思われる狐が一匹、最初からそこにいたかのように佇立していた。電光が寄せ集まって出来たみたいな体躯を持つそいつの尻尾は同じ場所からきっかり九つ、すらりと生えている。それを見て満足そうにフィーがナイフを懐に仕舞い込んだ。
 自傷行為と見間違われても可笑しくない先ほどのフィーの行動は、勿論フィーがとち狂ったが末のものでは無い。
 彼女たちの生まれ育ってきた世界にはどうやら人間の生き血に潜み生きる生物が存在するらしいのだ。それが魔魅(まみ)。先ほどフィーが“ライマ”と呼んだ九尾の狐のことである。別に生まれつき血に宿っているというものではない。魔魅を自らの血に住まわすには、魔魅を繰ることを望む本人が気に入りの魔魅を選び契約を結ぶ必要があるらしいのである。魔魅を操る者を魔操師(まそうし)と呼び、フィーらの世界ではメジャーな術者であるようだ。ただし魔操師が死んだ場合、術者の血肉は全て魔魅に食い尽くされる。それが魔魅の強さになるから。
 魔魅の召喚方法はただ一つ。魔操師の血をこの世界に落とすこと。フィーが落とした血液は今回はたった一滴であるが、より多くの血を落とすことによって魔魅の力は比例して強大になるという。
 ライマは今まで相当人の死肉を食らってきた魔魅であるため一滴でも十分な力を発揮するみたいではあるけれど。そう言われてみれば切れ長で綺麗な金色の双眸から厳かで威圧的な何かを感じなくも無い。


「それじゃあ助太刀、行ってくるわ」


 ライマにひらりと飛び乗ってフィーが気丈に言い放つ。


「あい、行ってらっしゃい」


 おざなりに挨拶を返し一歩下がって窓の前を空けてやった。フィーが、いやフィーを乗っけたライマがそっち目掛けて床を蹴る。
 一人と一匹の姿が窓の向こうに消えた。当然ライマは翼なんて便利なものを持っているはずは無く、天音が窓の丁度真下を覗き見たときには重力に引っ張られるかのように三階分の虚空を隔てた先にあるアスファルトに二つの影が落ちていったところだった。アスファルトに着地するや否や後ろ足でライマが跳躍。たまたま通りかかっていた通行人が唖然としてライマの行方を追って此方、つまり真上を向く。魔力で自然物若しくは人工の素材物を具現化させることが出来る土地といってもやっぱりああいうのは物珍しいものなのだろうか。
 飛び上がったまま別の建物の壁を頼りに本来の地面とは垂直に走り行くライマとフィーをふうむと関心深く目で追った。魔魅、というものはやっぱり中々面白いものである。欲しいかもなあ、魔魅。今度佐奈に相談でもしてみるか。



■ □ ■



 視界を覆いつくしていた濃い霧のような白が、時間が経つにつれ薄いもやに変わっていく。未だぼんやりとではあるがアーティの目にも店内の輪郭を把握できるようになっていた。
 人質が集められているこの場所は店内の比較的奥の方。すぐ傍にはカウンターを兼ねたガラスケースがあり、宝石が並べられていたであろう形跡が伺える。他にも中央や壁際に宝石が並べられていたであろうガラスケースはあるものの、強奪済みらしく中はもぬけの殻であった。これだけ大掛かりな強盗をしでかしたのだから盗り残す必要性は無いのだろうが。
 薄もやの向こう、カウンターの奥に敵が二人、周囲を忙しなく見やりながら立っているのを見止めた。
 アーティの背後、此方に背を向ける形で屹立している真佳に視線を送ってから右手を軸にカウンターを飛び越え身軽に着地。その勢いを生かしたまま傍にいた男の鳩尾に蹴りを叩き込む。
「っ!」白煙が薄まってきたことで向こうも段々視覚を取り戻してきたのだろう、カウンター内に入り込んだアーティに向けてきた銃口を抜いた剣の根元で逸らし先ほど同様足蹴を食らわした。その時点ではもう周囲を覆いつくしていた白煙はなりを潜めクリアになった宝石店の風景が目に飛び込んでくる。


「自警団のお出ましってわけかい。まさかこんな子どもとは……。他の奴はどこだ。正直に答えろ」
「他の奴らなんて此処にはいないよ。私と彼二人だけ」


 機関銃の銃口を此方に向けて苦々しく且つ威圧的に尋ねる男に対して、真実を述べた真佳の口調はまあけろっとしたものである。よくよく見れば真佳の方も敵の腿にクナイを突き立てることによって三人もの人間を地に伏しているではないか。この煙の中仲間を一気に五人も倒されればリーダー格の男もそりゃあ苦虫を噛み潰したようなという表現がぴったりくる顔をするものだろうと納得する。


「……たった二人? おいおい、ふざけるのも大概にしろよ、一体俺たちが何人で乗り込んだと思ってるんだ!」
「さー。十五人以上なのは分かるけど、細かい数までは数えてないから分かんない」
「てめっ――」


 明らかにおふざけの過ぎた(真佳にとっては至極本気の)台詞に完全に頭に血でも上ったらしい。リーダー格の男が銃口の先をぴったり真佳に合わせにかかった。アイスブルーの双眸を激昂に染めて、引き金を絞らんと指をかける――
 刹那。
 上階にて派手な雷鳴が轟いた。寸秒後にはそれより更に近いところで落雷音。その場にいる全員が怪訝に天井を仰ぎ見た直後、その天井が降ってきた(、、、、、、、、、、)
「なっ、」「やばい、逃げろっ」頭上に落ちてこようものなら確実に無残な肉塊に変貌しそうな巨大なコンクリート片にうろたえる強盗犯を思わず呆気に取られる形で眺める。一体どんな異常気象が発生すればこんなとんでもない事態になり得るんだ。真っ赤な絨毯に降り積もる岩とも取れるコンクリート塊の集団につい頭痛に見舞われて頭を振った。「な……、なんっ……」丁度落ちてきた天井の真下に立っていたあのリーダー格の男が壁際まで走り逃げ真っ青になって喘ぐのを見て不覚にも同情。
 天井が落ちてきた部分は玄関扉に比較的近い場所であったためアーティや真佳、それに人質らに直接の影響は及ぼさなかったものの、事件の現場である建物は当然ながらひどい有様であった。中央に設置してあったガラスケースは見事に粉々、周囲にはむせ返るほどの砂埃が舞いそしてつい数秒前まで天井を構成する一部を担っていたコンクリート片は天井に空いただけの質量と同等の瓦礫の山を店内に築いてくれている。凄惨たる状況に敵味方問わずその場の全員が呆然とその場に立ち尽くしているのは言うまでも無い。
 天井にぽっかり空いた穴の向こうから直射日光が頬を差す。二階の壁を盛大に吹っ飛ばした後天井、壊した側からすれば床部分を容赦なく破壊したらしい。その下に人質が集められていたらどうなるかとかいう可能性は考えてくれなかったようだ。
 天井の穴から降ってくる日光と共に獣が一匹飛び降りてきた。電光の塊みたいな体躯にぴんと尖った三角耳、長いマズルに九つの尾。時々爆ぜるみたいに電光が空気上に放出される。その獣に戦女神よろしく跨っている少女が一人いた。
 サイドポニーに結われた波打つ橙の髪を風にそよがせ、民族衣装を思わせる長いスカートのスリットから小麦色した太ももを顕にさせ電光の寄せ集めたる狐の毛を両手でわっしと掴んだ小柄な少女。
 アウトマティア・フィー・ロドリゲス。現在伏兵であるはずの彼女がそこにいた。真佳か誰かが彼女の出動を要請したのだろうか。


「……誰かが瓦礫の下敷きになったらどうするつもりだったんだよ」


 溜息混じりに至極真っ当なことを口にする。しかし当のフィーはどこ吹く風。


「大丈夫よ。人質のいる場所はライマがちゃんと割り当てて、そこ以外のところに穴を空けたんだから」
「……」強盗犯のことは当然のように考えていないらしい。
「それに、此処から階段に向かって下りるには遠すぎると思わない? 物々しい重火器扱う音をライマが察知してたし、回り道してる暇は無いと思ったのよ」
「じゃあ二階の壁を壊したことに関してはどうなんだよ」
「それも回り道が面倒くさかったの」


 この物ぐさめ。
 物ぐさの塊たる、彼女の(そして不本意ながら自分の)創造主月村佐奈を思って疲弊を募らせるアーティである。


「お前っ、こいつらの仲間か!」


 自分とフィーとの会話でどうやらそう認識されたらしい。気色ばんだようにびしっとフィーを指差し声高々に言い切る強盗犯に冷めた視線を送ってフィーの方に視線を戻した。彼女の方は飄々と「自分たちの仲間だとでも思ったの?」なんて呆れたように口にしている。真佳のことは言えない。強盗犯をナチュラルに挑発しているのはアーティやフィーとて同じことだ。


「てめっ、人を馬鹿にすんのもいい加減に、」
「――っ! おい、待っ」


 リーダー格の男がかける制止の声も空しく、此方に銃を構えようとする下っ端の男Aはその銃口を此方に向けること叶わぬままに「ぐあ…っ」搾り出すような叫声を上げてがっしりした両腕から重火器を取り落とした。ごてごてしくもずっしりした質量を持つそれは重力に逆らうことなく絨毯の上に落ちごとりと重々しい音を立てる。
 立つこともままならない様子で男が地面に膝を付く。男の両腿にざっくりと突き刺さっているのは十センチ程度の小さなクナイ。


「馬鹿を馬鹿にして何がいけないのかな?」


 クナイが描いてきた一つの線を辿るように目で追えばその先に佇立しているのは五指の間にクナイを挟みこんだ秋風真佳。
 先ほどの男はアーティとフィーに対する怒りのあまり忘れていたのだ。彼らが自警団と呼ぶ人間は決して二人だけでは無いということを。
 痛みのあまり気絶したのだろう。男の傍らに落ちていた重々しい重火器が空気に溶け込むように消え去った。術者が意識を手放したことにより具現化する魔力を保持出来なくなったのだ。
 これで残りの強盗犯は九人となった。


「……やりやがったな……」


 獣がうなるような低い声で剛毛を掻き毟らん勢いを伴ってリーダー格の男が言う。他の強盗犯には動揺の色が見られるが、この男にだけはそれが全く見られない。冷静でありながらも怒気に塗りたくられた視線が強烈な光のようにアーティら三人を睨めつける。
 隙を見せたが最後、獲物を狩る肉食獣の如きパワーでねじ伏せられるような気がして視線が外せない。しかし――
 視界の隅で何かが引っかかった。向かって左側、真佳の佇立している方向で。周囲の空気に紛れ込むようにして微量な何かが視界の端をしきりにちらついてくるのである。視覚が感じているのではない。強いて言うならば皮膚感覚とかそういうものがアーティの意識をちりちりと刺激する。
 自分はこの感覚を知っているはず。知っているはずなのにはっきりした答えを導き出せない。捉えようとすればそれを察知したようにするりと意識の外に逃げられる。これは一体、何だ? 思い出せ、思い出せといつの間にか焦燥に駆られるように自分の思考に命じている。多分それくらいにやばいもの。


「てめぇら全員ぶち殺すッ!」


 リーダー格の男のその一言が合図となった。
 強盗犯の重火器が一斉に此方目掛けて火を噴き始める。ガラスケースを盾にするようにその場に素早く身を屈め、頭の半分では皮膚感覚が捉えたものの正体を突き止めんと脳をフル回転し始めた。
 強盗犯は先にフィーを的にすることを選んだようだ。瓦礫の山頂で屹立する獣目掛けて九つの種類の違う銃弾が飛んでいく。しかしライマとて大人しく的に甘んじているわけがない。瓦礫の山からひらりと舞い降りるや否やついでに強盗犯の一人を容赦なく踏みしめ(止めとばかりに鳩尾に後ろ足で着地された男は胃の中のものでも吐き出しそうな呻き声を漏らした)、銃弾を飛ばす隙を与えぬまま傍にいた男にタックルをかまし気絶させるなどという凶行に及んで迎え撃った。フィーの方は心配するだけ無駄だろう。
 ガラスケース越しに問題の真佳の方に視線を移す。人質の寄り集まったそのすぐ傍で屈みこんでいる真佳の後頭部が見える。彼女の方に銃弾を飛ばす者は今のところ誰一人としていない。白煙が晴れた間際に真佳が地に伏した男らも、意識はあるようだが真佳に飛び掛る気は無いようだ。尤も、腿にクナイを突き立てられた状況で立ち上がるのは些か困難であろうと思われるが。
 それにしても攻撃が来ない。犯人にとっては貴重な人質の束とガラスケースを盾にしているアーティの方に矛先を向けないのはまだ理解出来るが、真佳の方に一つでも銃弾が放たれないのは少し可笑しくは無いだろうか。いくら傍に人質がいると言っても、狙えない場所にいるわけでも無いのに。
 嫌な胸騒ぎが圧迫せんばかりに心臓に圧し掛かってくる。冷たい汗が噴出すのを感じた。真佳の屈みこんでいる方に目をこらす。皮膚感覚が違和感を感じ取ったのもあちら方面――。
 鈍い光が瞬いたのはほんの一瞬。


「っ! 真佳(シャパシュ)さんっ」


 パズルの最後のピースがはまるや否や、轟くような銃声にかき消されぬよう声を大にして、叫んだ。腕を振り上げた人影の両手には鈍く光るダガーナイフ。鋭い刃先が真佳の背中目掛けて振り下ろされる――
 キン、
 という金属製の鋭い音が聴覚を刺激した。
 危機一髪、真佳は引っ張り出した大降りのクナイで今正に自分の体に突き刺されんとしていたナイフを打ち払ったのである。ナイフを持った人影が驚愕に目を見開くのをアーティは確と見た。


「正体現したね、強盗グループの本当の(、、、)リーダーさん?」


 勝ち誇ったような表情と凛とした声を投げかけて、真佳は薄く微笑した。

執筆:2006/09/17
加筆修正:2009/07/04