「正体現したね、強盗グループの本当のリーダーさん?」
よっぽど自分の正体を隠し通す自信があったのだろう。真佳の言葉に一瞬目を皿のように丸くした彼女は、奥歯をぎりりとかみ締めて歯の間から搾り出すように低い声音で訪ねてきた。
「……いつから?」
「ん?」
「いつから気付いてたの、あんた」
「あっちの一見リーダーっぽい人に銃口突きつけられてたときから、かな?」
クナイで受け止めたナイフががちがちと音を立てる。両手で力いっぱいに振り下ろしたナイフを片手で受け止められたことに自尊心が傷ついたのかもしれない。口中の肉を噛み千切らんばかりに奥歯を噛む相手に微苦笑を漏らす。口内の肉、切ったら痛いと思うんだけどなあ。惜しむらくは彼女に忠告しようものなら余計に自尊心を傷つけてしまいそうな敵同士という自分と彼女の関係である。
「……っ」勢いつけて彼女が真佳の側から飛びのいた。此処より店内の入り口付近に近いところに足裏をつけた彼女に、周りの人質さんが慄くみたいにどよめく。飛んだ拍子に彼女の豊かな黒髪が弧を描くように靡き一拍遅れて彼女の体に添った。しなやかな体躯でナイフを構える褐色の肌を持った若い女性は、先ほどまで人質の一人として捕らわれていた素振りを微塵も見せない。
「それだけで?」
「うん。リーダーっぽかった人以外の犯人さんは結構うろたえてたし。あれ、可笑しいなーって思って警戒してたの」
本当はあれはただのキッカケにしか過ぎなくて、“彼女こそが強盗犯のリーダーである”という答えにたどり着いたのは真佳に宿った第六感だったりするのだが、それを言ったところで多分怒られるだけだろうと思うので黙っておくことにする。
女が自嘲にも似た笑みを吐いた。
「あんたたち、自警団なんていうチンケなもんじゃあないわね? でも治安部なんてものとも違う。あんたらそんな緩い目はしてないもの。ホントは何者? ただの通りすがりってわけでも無いんでしょう?」
……まぁ、良く喋るものだと感心する。
ハスキーボイスで紡がれる流暢な言語に若干面食らいながら頬を掻いて二秒くらいの時間を空けてから、
「何者って言われても……。なんだろ。強いて言うなら神の使い?」
「はあ?」
何こいつ、みたいな蔑視の視線を向けられてしまった。
これは紛れも無い真実であって決してふざけてるわけでは無いのだが、“神”の存在が人々の心から失われつつある昨今では仕様の無いことなのかもしれない。例え相手が熱心な信仰者であったとして、“神の使い”の一言を信じてくれるかどうかは分からないけど。運が悪かったら『神を騙った不届き者』としてしょっぴかれるかもなあ。
「まー細かいことは良いじゃないですか。それよりこれからのことを考えましょーよ。簡単な二択です。このまま大人しく投降するか、抵抗して私たちに倒されるか」
「気に食わない選択肢ね」
「現実とは得てしてそーゆーものです」
女の頬が目に見えて引きつった。
「……どっちも選ぶわけがない。わたしは、」
紡がれる彼女の声は震えている。泣いているとか笑っているとかそういう理由では勿論無いんだろう。多分彼女は、これ以上無いほどに――怒っているのだ。
「わたしたちは、あんたらを倒して治安部からも逃げ果せるッ!!!」
宣言すると同時に彼女の手に握られていた鋼のダガーナイフが別の物体に改めて具現化し直される。女のゆったりしたTシャツにジーンズの普段着姿には全く似つかわしくない、一メートルほどの刀身を持つ両刃刀。クレイモア――。
重量の増した獲物に女の右腕が下がり柄に左手が添えられる。地面についた刃先が絨毯の毛先を僅かに切り取った。
それに応じるみたいに真佳の方もクナイを仕舞う。背に差したタルワールの柄を右手で探り当て一気に引き抜いた。自分たちに向けられる刃ではないはずのそれに、人質の何人か短く声を引きつらせる。対峙する彼女がうっとうしそうな視線を一度人質の方に向けてから、再度此方に目を向けた。
「予想はしてたけど、あんたやっぱり……人族ね?」
「んー、魔族じゃないことは確かですよ」
女の問いには微妙にズレた答え方をして軽く肩を竦めることで返した。
人族。このアスタルテの地に住まうもう一つの民族である。丁度国の中心にある“中立の山”を境目に人族と魔族が住まう土地、それがアスタルテという国だった。
人族と魔族の違いは一つ。即ち魔力の有無。“中立の山”の西側、魔族の地でわざわざ具現化せずに武器を使うことは、“自分は人族です”と名乗っているようなものなのだ。
真佳やフィーの場合においては、まず生まれた世界が違うので魔族や人族に分類すること事態が不可能であるわけなのだが。
「そう、人族が魔族に逆らうの。それだけ腕に自信があるの? それともただ考えなしなだけかしらぁ?」
「前者じゃなきゃ今頃私、今回の騒動のことも知らずフツーの生活してると思いますよ?」
「――ふん。口の減らないガキだこと」
タルワールを両手で構えて睨み合う。女の褐色の双眸と真佳の深緋色の双眸が強烈な闘志を灯しながら交錯する様に、竜虎の姿を見た者がいたとかいなかったとか。
沈黙は一瞬。
地を蹴ったのはどちらが先だったか――寸秒後二人の女性は刃を交わし火花を散らせた。
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†チェック・メイト† |
何故だ。
何故こうなった。一体何がいけなかった。
男は浅い呼吸を繰り返す。酸素不足を起こしたみたいに視界の四隅がいやに暗い。しかしいくら視覚が狭まろうが目の前に突きつけられた現実は覆ってくれるものではない。
三十人だ。宝石店に乗り込んだ人数は自分を入れて全部で三十。なのに何故だ? たかだか一人の魔族と二人の人族でしかない相手に、どうして自分たちはこうもあっさりやられているというのだ? どうして――。
「く……っ!」
狭い視界の中褐色の肌を持つ女性が赤い目の女と刃を交えているのを見た。
誉れ高き我が強盗犯の統率者にして参謀。人質や治安部の目を欺くためにと用意された自分みたいなハリボテのリーダーではない。その実力は本物であり、彼女がいたからこそ今まで治安部の目をくらませて悪事を重ねることが出来たのだ。
此処で終わるわけにはいかない。こんな良く分からない子どもに、それも人族のガキに負かされるわけにはいかない。
鋼で構成された短機関銃の引き金に指をかけた。銃口の先は魔力で具現化したのだろうと思われる雷光の獣に昂然と跨る橙の髪を持つ少女の体躯。他の二人と違って丸腰の女目掛けてトリガーを引き絞る!
継続的に聴覚を支配する銃声と共に弾丸の雨に晒された女を庇うように雷光の獣が後ろ足で立ち上がった。獣に押し倒される格好でいた仲間の一人が荒い息を繰り返しながらも具現化した拳銃を獣目掛けて撃ち放つ。獣の壁に自分と仲間、両方が放つ銃弾がぶち当たった。その侵入を拒むように獣の体内でばちばちと強く爆ぜるような音と共に、「ライマっ」女の焦ったような声が銃声の隙間で聞こえた気がした。
構わず銃弾を撃ち続けながらじりじりと横移動。獣が邪魔して肝心の女をぶち抜けないんじゃあ意味が無い。あの女が消えれば魔力の力でもってこの世界に作り上げられたであろう獣も消えるはずだ。そうすれば一気に此方に優位になる。
足の側面に何かが触れた。引き金を引いたまま視界の隅でだけでその正体を一瞥する。
見覚えのある顔の男が倒れていた。覚えがあるのも当然、奴も自分の仲間であるところの男なのだから。この自警団もどきは甘っちょろいガキらしく命を取ることはしないようであるし、すぐに手当てすれば助かる可能性は高いだろう。それまで悪いが、放っておかせてもらうぜ……。
倒れた男を避けるような格好で尚も移動、したときだった。
「ああ……一応仲間を思いやる気持ちはあるんだね」
「あ?」
振り返り感じた首裏への一瞬の重い衝撃に意識が飛ぶのに、そう時間はかからなかった。
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■ □ ■ |
金属同士が交わる澄んだ高い音を聞くのはこれで何度目だろうと考える。
そんな余裕があるのは当然真佳の方だけで、完全に押された形にある褐色の女の方は思考に意識を沈める考えさえも持ちえていないだろうが。
相手が同じ女性であることと、戦闘経験の違いが功を奏したのだろう。一撃一撃は重いが勝てない相手で無いことはすぐ知れた。一撃の重さで言うならシロクマの方が断然高い。
頭上に振り下ろされた刃を右手に持ったタルワールで弾くように払って懐に飛び込んだ。女が小さく歯噛みする。すかさず左手でクナイを抜き出し逆手に構え、女の腿に狙いを定め――
女の武器が変わった。
嫌な予感にざわりと心臓を撫でられて急ブレーキ、そのまま飛び退るように後退。真佳の首を追うように扇形のごつい刃がついた手斧が投げられるのが確と見えた。直線を描くそれを右にかわす。女がにまりと笑う。その意味に気付くのに一秒の時間も要することはなかった。
手斧を追いかけるようにがっしりした鎖が真佳の脇を矢のように通り抜けて後方に飛ぶ。鎖のもう一方の先は女の両手。真佳の見つめる先で女の手が鎖を引っ張り戻さんと力を加える。
振り返った先には何とも恐怖心を煽ることに斧の刃先。それが自分の心臓部目掛けて飛んでくる様はそこらの一般人が見たら確実にトラウマものだろう。いや、真佳自信も自分は一般人であると自負しているわけなのだけれど。
このまま振り返って迎え撃つのでは間に合わないのは明白だった。だからといって飛び退るのも賢い選択とは言えない。飛び退ることで体勢を崩した真佳に、手斧を引っ張り戻した女は容赦なく刃を振り下ろしてくるだろう。
内心で小さく舌打ちした。ああもう、自分はただのフツーの一般人であるというのに……。
目安となるのは自分の勘。逆手に持ったままだった大振りのクナイを強く握って後ろに伸ばし、
カキン!
小気味良い音と共に弾き飛ばした。手斧が床に転がる重い音が背後で聞こえた。
「!?」
あり得ないものを目の当たりにしたみたいに目を瞠る女に一瞬の隙も見せることないよう地を蹴って、鎖を操られることの無いよう女の右手にクナイを突き刺す。「っ!」苦痛に息を詰まらせる女に構うことなく続けて腹に膝蹴り、それのために前に出していた左足を軸にして右足を振り上げ前かがみになる女の右肩に止めとばかりにかかと落とし。
普通の人間なら此処で気絶はまず免れないはずだが、相手も相当の手足れであるらしく僅かに受身を取られた。当然警戒を緩めることなく飛び退って距離を取る。
「あんた……可愛い顔して結構手荒なことすんじゃない……っ」
「あは。それは褒め言葉と捉えても良いのかな?」
ぱっと笑って左手でクナイを抜き出しなおす。女の腕に突き刺されたそれは女の手によって抜き取られ、絨毯の上に転がされているところだった。クナイの刃先にべっとりと付着した血が絨毯の赤に吸い込まれる。栓を無くした女の腕から先ほどとは比べ物にならない量の血が褐色の肌につう、と流れた。
右手に構えたままだったタルワールを背に差したままの鞘に収めると女が怪訝そうな顔をした。
「どういうつもり?」
「や、飛び道具相手に刀で相手するのは不利だと思って」
こういうとき本当ならば敵に此方の意図を知られないよう気を配るのかもしれないが、生憎真佳にはそんな面倒な心理戦を繰り広げる自信が無い。隠そうとしても結局ボロを出すのが関の山なのであっさりすっぱり胸の内を晒して見せた。それが余裕と取られて相手の怒りのボルテージを上げることに一役買っていることなど、真佳本人は露ほどにも思っていない。
ホルスターを使うことなくハーフパンツの腰に差すように入れていたオートマチックを抜き出した。天井に空けられた巨大な穴から差す陽光に銀の銃身が鈍く反射する。
「人族の武器に拳銃に、なんて厄介なものを持ってんのかしらね、近頃のガキは……。やっぱりあんた、ただもんじゃあないわね」
「そりゃあ女神の使いですから」
さっきも言ったようなことをしれっと口にしたら女の表情が益々苦々しいものに変わっていく。完全におちょくられていると思ったのだろうか。じゃら、と音を立てる鎖を渾身の力で引っ張り戻し手斧を右手に収めた女の目にはぎらぎらした殺気みたいなものがぴりぴりと感じられた。
左手に持った鎖から生えるみたいに何か平らなものが具現化されていくのに自然と身構える。魔力の使用によって武器をころころ変えることの出来る魔族の能力にはやはり侮りがたいものがある。
女が具現化したのは盾だった。円形に形作られた精巧な作りの鋼の盾。
「最後の質問です。大人しく投降する気はありますか? ありませんか?」
「否、よ!」
言うと同時に地を蹴った女が盾で此方を差し押さえながら右に構えた斧を天井近くに振り上げた。鏡に映る虚像のように左腕を高く持ち上げてクナイの刃先でそれを押し留める。見計らったかのように盾の形状が短剣に変貌した。
「っ……」魔力の具現化。集中力さえあれば瞬時に形を変えることの出来るそれに初めて具体的な危機感を覚えた。
女の口が三日月に歪む。咄嗟に拳銃の安全装置を外してこれからの事態を天秤にかけた。今此処で片を付けるか、それともこれと同じ堂々巡りの攻防戦を繰り広げるのか。答えをはじき出すのに大した時間はかからなかった。
向かい来る刃と自分の心臓部の間に右腕を滑り込ませる。勢いそのままに前腕に突き立った鋭い刃がもたらす激痛を無理やりに意識の外に投げ飛ばしてよろけるように女の肩口に顔を埋め一言。
「王手」
押し付けた銃口は女の右腿に向けられていた。弾倉に装備されているのは実弾よりも殺傷能力の劣るゴム弾ではあるが、これほど至近距離で撃たれたら骨折は免れないだろう。
引き金を絞る。右手に重い衝撃。ジーンズに穴を空け皮膚を貫く手ごたえに命中したことを悟って、
「……あー……」
むしろ真佳の方が頽れるように地面に膝をついた。上から覆いかぶさってくるように倒れ来る彼女を無理な体勢で抱きとめて絨毯の上に転がす。女の両手に具現化された武器は無い。気絶していることは明らかだった。
絨毯に座り込んだまま右腕に深々と突き刺さった短剣と伝い落ちる赤黒い液体にもう一度「あ゙ー……」深く刺された刃と同様の深い溜息を吐いて、他の強盗犯を沈め終わった仲間二人に血のだらだら流れる右腕を掲げて見せた。
「アーティー。治癒お願いー」
「……また?」
「またあ。えへぇ、無茶しちゃった☆」
「……たまには自然摂理に順じて人間の本来持つ再生能力で数ヶ月かけて癒した方が無茶する回数も減るんじゃないかな?」
「ごめん、ふざけた私が悪かった。なので治癒してください、お願いします」
自分の非を認めて素直に低頭。
何せ相手はあのアーティ・ゲルツである。謝らなかったら本気でこのまま治療も何もしないまま放置される可能性は絶大。それでなくても浮かべられた爽やかな笑顔に比して背後に立ち上るオーラは深淵の如くどす黒いのだから謝らなかったら何をされるか分からない。
胸中で毒づいているに違いない仕方なさそうな溜息を吐いて、アーティは自分の指を口に含みがりっと強く肉を噛み切った。再び外気に晒された彼の人差し指の腹にはだらだらと流れる真っ赤な鮮血。
腕に突き刺さったナイフを自分で引き抜く。一気に生々しい血が噴水のように噴出し絨毯に新たな染みを作った。真佳の傷口をなぞるようにアーティ自身の血に塗れた指の腹が前腕上を移動する。走った鋭い痛みに思わずびくりと腕を動かした。
知らない人間が見れば狂気の沙汰としか映らないこの行為、見かけのグロテスクさとは裏腹にちゃんとした治療法なのである。魔族の治癒能力の高さはその体に流れる血液に関係するらしいと独学で突き詰めたアーティの、順当なる治療法。魔族の血を傷口に塗りたくることで人族であっても獣であっても一時的に魔族同様の治癒能力を得ることが出来るというのだ。現に真佳の腕にあった切り傷は、流れ出た血を残しながらも完全に塞がっている。腕に付着した鮮血も綺麗に拭い去れば怪我をしたとは誰も気付きやしないだろう。
「ありがと、アーティ」
「別に」
と答えたアーティ自身にあった指先の傷もいつの間にか綺麗に塞がっていた。魔族というのは便利だなあ。この治療法を知っていても他人のために自分を傷つける者は魔族にそうはいないらしいというのが心底に勿体無い。
「フィーさん、他に敵は?」
「いないみたい。ライマが落ち着いてるもの」
ガタイの良い男数人を踏みつけたライマはフィーの言う通り、呑気に欠伸なんか漏らしている。敵意に満ちた強盗犯が意識を取り戻していたり取り逃しがあったりしたらこう悠長にはしていないだろう。
「おっけ。じゃー任務終了。帰ろっか」
ぱっと笑んで宣言すると共に、立ち上がった。
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執筆:2006/09/17
加筆修正:2009/07/06 |