夜独、レイスレット、翠。桜花、ルーン、月留。そして楽羅、茜が帰還したのを確認し、月獅とロキは相手にではなくただ薄く微笑んだ。
夜独、レイスレット、翠。桜花、ルーン、月留。そして楽羅、茜が帰還したのを確認し、月獅とロキは相手にではなくただ薄く微笑んだ。 |
| 怪物 |
月獅は穏やかな風の凪ぐ大草原のように、ロキは闇のヴェールが波打つ夜のように。 それは対象であって、どこか似ている笑み。 ロキが二人の挟む見事な調度のテーブルの上に広がるチェス盤の上の、ポーンを一つ前へ進めた。 「どうやら、初任務は成功のようだね。」 それに、月獅がナイトを動かしつつ応える。 「えぇ。彼らには少しの間、休んでもらいましょぅ」 ビショップを進め、クイーンを狙うロキの手をルークでやり過ごし、月獅は続けた。 「各世界の実力者たちも、大分奮闘しているようだし、ね。」 その言葉に、同じくルークを進めてナイトを奪い、ロキはふむと小さく呟く。 彼ら、彼女等の創造主である柳乃朋美。彼女の創った世界にはそれぞれ『神』や『魔』と呼ばれる存在がいる場合が多い。それぞれが僅かながら世界に干渉することを許され、物臭な創造主の代わりに彼ら彼女等が世界を維持しているのだ。 だが、今回の任務先の世界には『神』が存在しなかった。侵食が進んだのも、それが原因だろう。そのために『蚊』の力は強まり、その欲望の深さゆえにか『寄生獣』さえもを手中に収めた。 他の世界でも、今回のようなことが起こる可能性は決してゼロではない。 いやむしろ、今回は一番マシだったと言ってもいいかもしれない。 もし『蚊』の感染者に、物語に関わるもので手を貸す者が表れたりしたら厄介だ。『寄生獣』を使って遊び気分で街一つを壊滅しかねないような凶悪な連中もいる。しかも、名前を持たない者を利用して、創造主の目を欺けるぐらいの奸智に長けているのだ、そういう奴に限って。 まったく厄介極まりない。 「それにしても、あなたも随分と穏やかになったものねぇ、ロキ」 「そうかい？」 「えぇ」 ふ、と、ポーンを進めつつ月獅が謎めいた、けれど穏やかな微笑を浮かべ言った。 「あなたの世界の物語は、順調にハッピー・エンドに向かっているようね」 それにロキは苦笑する。それもまた、彼が今までは浮かべることのなかった穏やかな表情だ。 彼は、ただ世界の破滅を望んでいた。神々の滅びを、裏切りに裏切りを、神々に復讐を。地上に堕とされ、憤怒と呪詛と憎悪と嘆きにただただそれだけを切望していた。 だが今はどうだろう。 一度は決別した友人と、そして二度と会うことは叶わないだろうと思っていた我が子たちと、再び同じ時を過ごしている。 そうでなければ、世界の綻びのことも報告したりはしなかったかもしれない。 ただ哂って、世界が破滅する様を見ていたかもしれない。間違っても、こうして『天支』の『天上の玉座』になどは就いていなかっただろうし、創造主である少女も彼にこの仕事を任せはしなかっただろう。 物語は望ましい方向へ紡がれている。 それを、今更壊されて堪るものか。 「それぞれの物語の終わりは、主人公たちが結ぶべきだ。そうだろう？」 「えぇ。もちろんだわ。」 物語の外部から崩壊され、ENDマークを結ぶなど許されない。許さない。 だからそれを防ぐべく戦う者達に、 今はしばしの休息を。 「それにしても終わりの見えない不毛なゲームだね」 「あら、だって仕方がないわ。私とあなたの実力は互角ですもの。」 くすくすと微笑み、月獅はビショップを進めたのだった。 地下の研究室。ルーンから『蚊』感染者の血液を受け取ったルージュは、それを特殊ケースに全て移し、調査に使う微量以外を冷凍保存にかけた。 『鎖神』側の調査で、血液中に潜んでいる大量の『蚊』の卵が外気に触れることによって羽化すると判明したからである。 血液をプレートに移し、一番性能の高い、ルージュ手ずから改造した顕微鏡にかけ―――――――しかし、 「―――――ダメ、見えないわ。」 最大でも千倍でしか見れないこの顕微鏡では、粒状のものは見られるがそれ以上となると難しそうである。 なにせ『天支』に、『鎖神』にあるような超高性能巨大コンピュータなどというものは無い。そもそもルージュの世界にはPCのような複雑な機械だって存在していないのだ。それを始めて目の当たりにした時、これが魔法に頼って進化してきた世界と、智恵と知識のみで発展を遂げた世界の違いかとただ感嘆したものだった。 と、ルージュは背後の気配に振り返った。そのどこか見えない仮面を被っているような表情に喜色と親しいものに向けるどこか明け透けな好意を浮かべ、微笑む。 「ジーニ」 「ルー、何か分かった？」 弟のジーニアスを愛称で呼んだ姉をやはり愛称で呼びつつ彼は手に持っていた湯気の立つ紅茶を手渡した。その問いに、ルージュは静かに首を振る。 「『蚊』の解明については、『鎖神』の天才科学者さんに任せたほうがいいみたい。悔しいけれどね。」 「適材適所だよルー。僕らは『寄生獣』の方の解明に集中しよう。」 「そうね。」 「ならば少々急いだ方がよいやもしれんな。」 そんな二人の一種特殊な世界に、悠久の時を思わせる低くけれど耳に心地よい淡々とした声が割って入った。 途端、振り返ったルージュの顔が表情を押さえ込み、再び氷の仮面を被る。 「それはどういうことでしょう、フェフィス＝ザート殿」 恬淡とした、どこか拒絶的なその声の背後でジーニアスは僅かに嘆くような溜息を吐いた。他人を何処までも信用しない姉の態度を憂いて、である。 なにせルージュの信条は『他人を見たら泥棒と思え』『信じるものは馬鹿を見る』なのだ。まぁ、それを嘆くジーニアスの信条も『ルージュ主義』という姉弟愛を超越した主従関係のようなものだったりするのだからどっちもどっちだが。 兎に角、フェフィス＝ザートと呼ばれたその男性は、全身を覆い、目深に被ったフードで顔を隠し、フードの袖越しに掴んでいるレポートに目を通しながら言った。 「『寄生獣』を構成するありとあらゆるパターンを調べたところ、『寄生獣』に成長段階があることが判明した。」 「成長段階？つまり―――――進化すると？『寄生獣』が？」 「そうだ。」 静かな、いっそ透明なほど感情を微塵も含めないその答えに二人は顔を見合わせた。それに構う事無くフェフィス＝ザートは言葉を紡ぐ。 「卵なのだよ。今回回収した、円形の『寄生獣』は。全て。」 それに二人は目を瞠る。 「卵？それでは卵が自然物質に寄生して、動いているというのですか？」 「そうだ。―――――今回回収された『寄生獣』の色は七色だったが、色の濃いものほど次の段階に近いらしい。そして色の薄いものは、ようやく卵の形態にまで進化したもののようだ。」 再び顔を見合わせた二人に、言うよりも見せたほうが早いだろうとフェフィス＝ザートは踵を返した。そのまま、筒状のケースに幾つものチューブやコードが絡まる複雑な機械の元へ行き操作する。ケースに繋がっている望遠鏡のようなものから光が放たれ、対面のスクリーンに、ケースの中身が拡大されて映し出される。―――――――それは今回回収した、赤色の『寄生獣』だった。 これはフェフィス＝ザートが発明した魔力によって操作する特殊な機械で、彼と彼の弟子であり養い子であり同じ学者であるゼノル＝ザートにしか扱えない代物だ。そのため、『寄生獣』の主な調査はひとまず彼に任せていたのだが――――― 「まず、外殻を透過する。」 淡々とした事務的な説明と共に、その手が操作パネルらしい幾種もの小さな石が埋め込まれたボードを特定のパターンでなぞる。赤い線状の光が『寄生獣』をなぞり、光が通った場所から、『寄生獣』の内部の映像だろうものが浮かんでくる。 どくんっ と、脈打つ音が聞こえたような気がした。 「これ･･･は･･･」 「――――――なるほど、これが本当の本体というわけですね？」 「そうだ。」 外殻を透かして見えたそれは、 母の胎内で眠る胎児を思わせる、巨大な目玉と脳を持った ―――――怪物、だった。 |
| 執筆：2006/09/21 |