「――――!?」


 風呂で臭いを落とした夜独は『天支』の拠点である屋敷の廊下で、突然強烈な殺気を感じて振り向いた。





対価





 二階の玄関から左側の、男性居住区の、自分に与えられた部屋へ行く途中である。夜独は明確な殺気の放たれている窓の外を見て――――――その殺気の発信源を見つけ肩の力を抜いた。


「あはv やぁっと気がついた♪」


 開け放された窓のすぐ外に聳えている、まだ緑の多い紅葉の木。その枝に、青緑の髪を揺らし、深紅の瞳には純粋な狂気を光らせ、技術開発の響という少年とは違う同じ歯をむき出しにした笑いであっても露悪的な、そう凶暴さと全てを軽んじるような軽薄さの感じられる笑顔を浮かべた、痩身痩躯の少年―――――カーラが腰掛けて夜独を見ていた。


「ルシフェル。少し――――姿を消していてくれ。」
≪ケケッ、了解≫


 にやにやと嫌味な笑みを浮かべて二人を見ていた魔王の姿が言葉が終わると同時に消える。といっても、魔王と契約者は一心同体。決して傍を離れることは出来ないのでただその姿を見えなくしただけだ。実際にはここに変わらずいるのだが、この方が気分的に話しやすい。


「ばびゅんっ!」


 魔王の姿が消えたのを見計らい、カーラが訳のわからない掛け声と共に宙を飛び、窓枠に着地した。ちなみに此処は二階といっても、天上がいちいち高いので四階分ぐらいの高さはある。その猫のように軽やかな身のこなしと、もし落ちたらという危惧すら浮かばない度胸に夜独は僅かに目を瞠った。


「や・く・そ・くv ご褒美(ほーび)ちょんだいv」


 妙な節をつけて言い、彼は窓枠に足を投げ出して座り、両手を真っ直ぐそろえて夜独へ突き出し『ちょーだい』のポーズをする。
 僅かに首をかしげたその様子は無邪気で無防備なように見えるが、深紅の瞳の奥底に燻る殺意の光がそれを裏切っていた。



 『約束破ったら――――――殺しちゃうよ?』



 獣人族の無力化に協力する報酬をねだった時の彼の言葉を思い出し夜独は溜息をつく。もちろん約束を反故にするつもりなどまったく無いが、むしろカーラは約束を破られ、殺し合いに転じることこそを望んでいるような気がしてならない。
 もちろん、そんな面倒臭いことは御免被りたい。


「分かった……俺の部屋にあるものから適当に選べ」


 言ってさっさと背を向け歩き出す。その言葉にきょとんと目を瞬いたカーラは、窓枠から飛び降り頭の後ろで腕を組みつつその後をついて歩き出した。


「にゃににゃにぃ?あんたってここに住み込みすっるにょ〜?」
「そうだ」
「へ〜ぇ、学校(がっこ)とか行ってなぁいわけぇ?」
「学校は……ルシフェルと会った日に辞めた。就職もしてないし、住む場所が変わろうが、問題無い。」
「ふっう〜ん」
「そう言うお前こそ、学校には行ってないのか?」


 夜独の答えでカーラの興味がその話題から離れたことに気づきながら夜独はそう問いかけた。外見からすれば、その年齢はどう贔屓目に見ても14,5歳。地球を基盤としている夜独の世界でならば、まだ中学生ぐらいの年齢だ。
 しかし、カーラはぴたりと立ち止まり、夜独のことを頭の先からつま先までまじまじと見つめ出した。
 答えるわけでもないその様子に、夜独は眉根を顰める。やがて満足したのか、カーラは再びにまっと笑みを浮かべた。


「ねぇねぇ♪あんたさ、ボクのこと何歳だと思ってるにょん?」
「は?――――――十四、五歳ぐらい……だと思ってるが……?」
「へ〜ぇ♪」


 その答えに、なにやら楽しげににまにまと笑みを浮かべたカーラはそれ以上何も言わずにさっさと歩き出す。その横に追いつき同じく再び歩き出した夜独は、訳が分からない、と、眉間に皺を寄せ―――――思い出した。この『天支』において、外見年齢ほど当てにならないものは無いのだということを。
 なにせ男性組員最高司令官に選ばれたロキという少年など外見は十歳前後だというのに実年齢は数億歳だとか言っていた。なんでも天地創造の神話時代辺りから生きているが詳しい年数は数えていないらしい。その友人だとか子供だとか言う数名にも会ったが、全員二十前後にしか見えなかったが似たような年齢らしい。それに今回同じ任務に当たった獣人族のレイスレット=ザートは二十歳過ぎにしか見えないし、その兄弟弟子だって、二人ともどう贔屓目に見ても十五、六歳にしか見えないのに三人とも五百歳を超えているという。
 任務前の顔合わせで会った面々を思い出し、ならば他にも滅茶苦茶な年齢の奴がいたところで何ら不思議ではないと夜独は頷く。
しかし、それならばこの少年はいったい何歳なのだろう?
内心、首をかしげたところであてがわれた部屋に着き、夜独はその問いを飲み込んだのだった。



―*―*―*―



 地下の研究室。スクリーンに映し出されたその映像に息を呑む二人―――――ルージュとジーニアスに、さらに説明を進めようとしたフェフィス=ザートは研究室にある唯一の出入り口である自動扉の開閉音に視線をやった。
 黒髪黒瞳の、同じ技術開発員であり、フェフィス=ザートと同じ物語の世界に創造された少年柳沢響。彼は盆に果物をふんだんに使ったロールケーキとハーブティを乗せ僅かに駆け足で室内に入って来ると、三人のただならない様子に首をかしげた。


「何、なんか見つかったの?」
「『寄生獣(パラサイト)』に成長段階があることが判明した。」


 なんの前置きも無い、ただ事実のみを伝える淡々とした無表情な言葉に響は顔を強張らせる。そして盆をテーブルの上に置き、スクリーンを見て顔を顰めた。


「うげ、ってことはじゃあ玉形のヤツが第一段階で、この気持悪いのが第二段階?」
「いや、これは第三形態(、、、、)だ。」
「は?」


 言葉の意味を理解できずに目を瞬く響を尻目に、フェフィス=ザートは赤い『寄生獣(パラサイト)』の入れていた筒状の透明なケースを外し、一番色の薄い、白の『寄生獣(パラサイト)』が入っているものと入れ替えた。


「実際に見た方が早いだろう」


 呟くように言い、パネルを操作する。スクリーンに映った画面が数度拡大され、ピントがそのつど合わされ―――――ようやく見えたその画像に、三人は喉の奥を引き攣らせた。
 何十、いや、何百匹か。十倍ほどに拡大されたその画面には、黒い何か(、、)が蠢いていた。
 アメーバに似ているかもしれない。個々が粘着質などろりとしたもので、単細胞生物が寄せ集まっているかのように隣接した同じものとくっつき、同化している部分もある。


「っ、な、何……だよ、これ」
「まさか…『(アノフェレス)』…?」
「はぁ?!」


 口を押さえて呻いた響は、ルージュの呟きに素っ頓狂な声を上げた。それからまじまじとそれを見る。


「これが…『(アノフェレス)』…?」
「自ら液化し、結合して進化しているのだろう。」
「そんな・・・それじゃあ、『(アノフェレス)』が出現してる佐奈って姉ちゃんの創造した世界にも『寄生獣(パラサイト)』が発生する可能性もあるってこと?!」
「そうだ。」


 恬淡と紡がれた答えにジーニアスは息を呑み、響は歯を食いしばった。彼らの、そして数多の世界の創造主である柳乃朋美。その友人であり同じ創造主である月村佐奈。彼女の世界の住民達はこんな化け物との戦いに慣れているのだろうか?突然こんな化け物が街中で発生して、果たして対処できるのだろうか?
 今だ会ったことの無い彼ら彼女らのことを考え、しかし即座に首を振る。きっと大丈夫だろう。いや、今は大丈夫だと思うしかない。幾ら杞憂し、幾ら対策を立てたところで、発生するならば発生するのだ。それを止める手立ては、まだ、無い。


「―――――すぐに、『寄生獣(パラサイト)』について分かっている限りの情報をファイルにまとめる。由理っていう女の人が作ったPCに、それを送って、向こうからは『(アノフェレス)』のデータを送ってもらおう。メルアドはたぶん朋美姉ちゃんが知ってると思うし、知らないなら聞いてもらう。」


 この中で唯一PCを扱える響は、言うが早いがPCを起動させた。その背後で、三人はデータの検出と調査で分かったデータをまとめ始めたのだった。
執筆:2006/09/22