「桜花」
 呼び止める声に桜花は振り返った。





新たな事実





 左右で男性専用と女性専用宿舎に分けられている豪邸の、離れに建てられている図書館。そこへ向かう途中の、豪邸と図書館を繋ぐ渡り廊下で背後からかけられた声に振り返った桜花は笑みを浮かべた。
 膝裏ほどまでも長い、無造作に束ねられた金の髪が風に揺れ、夕日の斜光を照り返している。光を吸ったような分厚い氷を思わせる碧眼は物語に出てくる冷酷無慈悲な悪魔のようで。けれど本当は激しい感情を秘めているのだと知っている。
 如月(きさらぎ)(すい)。桜花と同じ物語に創造され、同じ魔導師協会(ギルド)のチームに属し、一緒に任務をしている双子の片割れ。


「翠。初任務ご苦労様」
「そちらも。初任務ご苦労だった。」


 会ったときから変わらない高圧的で淡々とした口調。もう既に慣れてしまったその言葉遣いに桜花は内心で苦笑する。


「叶は確か、一人で魔導師協会(ギルド)の任務についてるのよね。大丈夫かしらアイツ。」
「任務に関しては問題ないだろう。あいつは破滅的に人格に問題はあるが、いつも仕事だけは最終的に問題なく解決してくるからな。」


 誉めているのか貶しているのか悩むことを真顔で言う翠に、しかし彼ほどではないにしろ叶を良く知る桜花は声に出して笑い、『確かにそうね』と頷いた。


「今回の任務、夜独さんとレイスレットさん…だっけ?翠、あんた迷惑かけなかった?」
「問題ない。そちらはどうだ?」
「ルーンさんと月留さん。あの二人目茶苦茶なのよーすっごく疲れた!けど楽しかったわ。私は今回、ほとんど何もできなかったけど、ね。」


 何処となく苦い笑みを浮かべ赤く染まった彼方の空へ視線を向けた桜花に、何か気の利いたことでも言おうとして、けれど何も浮かばなくて結局翠も桜花が見つめる同じ空へ視線を移す。

 こういうとき、叶なら何と言うだろう。双子の弟の、煩いぐらいに舌の回る、口の減らないあの男ならば。
 考えても分からなくて、けれどちらりと見た桜花の横顔は寂しげで、戸惑う。


 寿桜花というこの女性が、とても理想の高い人だと気づいたのはいつだっただろう。
 彼女は常に上を見ている。強い責任感を持ち、自分に課す義務や能力は本来の実力よりも大きいことが間々ある。


 抱いた理想が高ければ高いほど、それが叶わなかったとき人は無力感に苛まれる。
 そんな思いを、彼女が幾度も抱いたことを知らないわけではない。

 だから、今回もそうだったのかもしれない。
 リーダーを任ぜられた任務で、自分は何も出来なかったと、叱咤しているのかもしれない。
 それでも彼女は挫折する事無く笑うだろう。けれど、けれど……



「次の任務で頑張ればいい。」



 気がつけば、まるで挑むようにそう言っていた。


「―――――――え?」
「今回が望む結果に終わらなかったのならば、次で今回の失敗を生かし努力すればいい。俺はそう思う。」


 自分は突然何を言っているのだと、焦る半分で、言わなければならないような気がして言葉を続ける。


「桜花、お前はまだ成長途中だろう。焦らないのも悪いが、焦りすぎるのも誉められたものではない。」
「――――――別に、分かってるわよぅ翠に言われなくてもっ」


 むぅ、と頬を膨らませた桜花に、言い過ぎただろうかと冷や汗を掻いた翠は、次には桜花が満面の笑みを浮かべて笑っているのを見て恐怖とは違う感情で硬直していた。


「なんてね。言ってもらって、なんか肩が軽くなったわ。ありがと。」
「あ…………あぁ」


 ぎくしゃくと、夕日が原因ではなく顔を赤くして頷く翠に、しかし桜花は気づかない。くるりと踵を返し翠に背を向けると、肩越しに振り返って言った。


「じゃ、私は図書館に用事あるから。迷わないようにね。」
「あ、あぁ。」


 いつものように反論することもなく頷く翠に特に注意を払うわけでもなく、桜花は告げた通りに図書館へ向かい、駆け足に歩いていった。
 残された翠はようやく自分の顔がほてっていることに、そして心臓が常ではありえないほど脈打っていることに気がついて戸惑い、一人呟く。


「…………不整脈と、微熱があるかもしれん。医療班に見てもらうべきか……?」


 鈍感天然方向音痴男は、踵を返すと医療室とはまったく見当違いの方向へ歩いていったのだった。





―*―*―*―





 地下の研究室。大型のPCの前に座った響は、送られてきたデータを見て感嘆の声を上げた。
 由理という『鎖神』の研究員がまとめた『(アノフェレス)』に関してのそのデータは、素人が見ても分かるだろうほど見事にまとめられていた。と、思えば学者か博士レベルでなければ分からないだろうほど難解なデータもあって、響はそれらを黙読し溜息を付く。


「すっげ……さすが天才科学者自称するだけあるなぁ……」


 どんな女性なのか。会ってみたいような怖いような。
 およそ奇人に含まれるだろう姉を二人持っているだけに、響は引き攣った笑みを浮かべた。『女性を美化してはいけない』それが、彼が十三年の人生で学んだことの一つである。
 と、添付されてきたファイルの一つを開いて、響は言葉を無くし目を瞠る。


「なん…っ」


 何だこれは、と、呻こうとしてそれが何であるかを悟る。送られてきたデータにあった。(アノフェレス)の、卵。その拡大写真だ。
 それを凝視し、あることに気がついて慌てて送られてきたのではないファイルを引き出し開く。そして、響は口元を押さえた。


「うっわ…最悪…」


 新しく開いたのは『寄生獣(パラサイト)』の、卵型と名づけた玉形の、白いものの拡大写真。
 そこに蠢いていたアメーバ状の物体の中に黒い粒上のものが含まれている。細胞の一つか何かと考えていたが、間違いは無い。


「これ……『(アノフェレス)』の、卵…か…?」


 その数は目測でも千を超える。つまりこの卵型は、大量に(アノフェレス)の卵を細胞内に内包する事で(アノフェレス)を吸収せずとも勝手に成長する事ができるのだ。
 いくら外界と隔絶しても同じ。それを止める方法は、完全に消滅させるか冷凍し眠らせるかの二つ――――そこまで考えて、響は何かに気づいたかのようにはっと目を見開く。

 茜の精霊に撮ってもらった任務中の映像。斬られた寄生獣(パラサイト)は硫化して空中に消えた。
 だが寄生獣(パラサイト)(アノフェレス)の寄り集まった姿なら、
 ――――――消えたように見えたのは、(アノフェレス)が分離して逃げたから?


「冗談…なわけない!!すぐに知らせないと!!!」


 これでは悪戯に(アノフェレス)を増やすだけだ。完全に焼却しなければ、寄生獣(パラサイト)を倒したことにはならない。

 急いで自分の考えをまとめ、響は『鎖神』へメールを送ったのだった。
執筆:2006/09/24


      


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