――――――あらまぁ

 柳沢月獅は、その豪邸を見上げて胸中で呟いた。





適材適所





 本日の午前十時。現在書いている漫画の締め切りが終わり、三日ぶりのシャワーを浴び、バスタオルを首にかけてソファに座り、録画しておいた五日前放映されていた映画を、ビールを飲みつつ見ていた月獅の耳に玄関のチャイムが鳴る音が聞こえた。
 当然のようにそれは無視される。
 二回、三回とチャイムは繰り返され、それでもでない家人にようやく諦めたのか音が止む。
 

「・・・ヴァンパイアも大変ねぇ・・」


 映画の感想などを無意識にこぼした月獅は、しかしふと背後に気配を感じて振り返った。


「あら、いらっしゃい」
「一応チャイム鳴らしたけど出ないから勝手に入った。」
「そぅ、気づかなかったわ。」
「だろうねぇ、あんた物凄い集中力だし。」


 不法侵入者の少女は言いつつ諦めたように溜息を吐いた。嘆くように軽く左右に頭を振れば、それに合わせて鮮やかな桃色の腰ほどまでも長い髪がさらさらと揺れる。
 少女は名前を 明城(あかぎ) 桃華(ももか) といい、彼女等の創造主である柳乃朋美が各世界への使者を頼んでいる盗賊(シーフ)だ。盗賊といっても、彼女のそれは冒険者に近い。
 桃華は肩から腰へ襷掛けに掛けているポシェットから、藤色の封筒を取り出した。スピーカーから流れるおどろおどろしい効果音と主人公の悲鳴の中、それを月獅へと手渡す。
 

「女神からの指令。」
「えぇ。」


 頷きつつ、月獅はその封筒を軽く振る。瞬間、それは灰すらも気化する高温で焼き尽くされた。
 それを慌てる事無く見ていた桃華が首をかしげる。


「何、見なくていいの?」
「呼び出し。でしょう?」
「まぁ、そうだけど。日時とか。」
「大丈夫よ。知ってるから。」


 謎めいた笑みを浮かべ、言う月獅の言葉に桃華は『あぁ』と思い出した。
 彼女は未来を予見する者。『未来を見る瞳(フューチャー・アイ)』と呼ばれるその能力で、彼女の世界に関わることであるならばあらかじめ『見る』ことができるのだ。
 それなら伝令の意味も無い気がしなくもないが、今回の用事はそれだけではない。
 そのことも『知って』いるのだろう、月獅は桃華の次の言葉を待っている。
 なんとなく居心地の悪さを感じつつ、桃華はポシェットから銀細工の腕輪を取り出した。


「ほい。これが移動手段。あんた専用だってさ。使い方は――――――説明しなくてもいっか。」
「えぇ、ありがとぅ。」


 頷きつつそれを右手首に嵌める。


「そんじゃ、私は別に用事あっから。」
「ご苦労様。」
「いえいえ」


 笑って片手を振るその姿が掻き消える。
訪れた、まるで最初から月獅一人であったかのような静寂の中、映画のエンディングが流れ、彼女はテレビとビデオの電源を消し、飲み干したビールの缶を『缶』とテープの貼られたゴミ箱に棄て、タオルを洗濯籠に入れて自室に行き、短いワンピを着てジーンズを履き、上から薄手のカーディガンを羽織る。色は全て黒だ。
 それからリビングにある伝言ボードに一言『女神』と書き、月獅は『さて』と呟いた。時刻は午前十一時。時計の音だけが聞こえるその部屋で、右手を胸元に触れさせる。
 自身の心臓が脈打つのを指先に感じながら、月獅は歌うように囁いた。


「『天の獅子 地の人 久遠の岬 永劫の海原 混沌の中に浮かぶ秩序』」


 月獅と、数多の世界を現す言の葉。
 銀の腕輪が光を帯びる。


「『運べ銀鳥 歌えよ血花』


 銀の光が浸食し、月獅の全身を包み込む。


「『アスタルテへ』」


 言葉の余韻を残して、
 その姿は世界から消えた。




――――――あぁ、匂いが違う
 閉じていた瞼を開いた月獅は、まずそう思った。
 そこは深い森のようだった。瑞々しい木々の香りに月獅はうっとりと目を眇める。
 世界に立つことでこの世界が彼女の世界に干渉したこととなり、月獅の能力が作動する。
 ここは『アスタルテ』
 魔と人。二つの種族が住まう世界の、魔界にある白紙地帯らしい。近くに、『ジェナ』という男性が運営している孤児院があるらしい。
 脳裏を流れた知らない筈の情報と、『見えた』情景に従い月獅は歩き出す。
 
 やがて見えたその豪邸を、月獅は唖然と見上げた。
 巨大な、どこぞの貴族か王族の屋敷のように巨大な、洋風の―――――この世界風にいうなら魔風の―――――豪邸。
 情報としては『知って』いたが、実際に見るのとではやはり迫力が違う。
 それは月獅が立っている場所に向かって、左右対称のコの字型の建物らしく、正面を真っ直ぐ進めば三段ほどの平べったい階段があり、上れば縦で二メートル半ほどの大きさの、観音開きの豪奢な扉がある。
 そのいかにも重そうな扉は、引いてみれば意外と軽く、片方だけ開いて中に入ればそこは巨大な玄関ホールだった。
再び月獅は呆れとも感嘆ともつかない溜息を吐く。
 広い。月獅の住むマンションの部屋がまるまる収まってもまだ余りそうなその広さに、そして軽く三階分はあるだろう高い天井と、そこから光を降り注ぐ巨大な縦長のシャンデリアに、こんなものを容易く作れてしまう創造主というのはなんと便利なのだろうかとしみじみ思う。
 そんな月獅へ、テラス状になっている階段の上部からアルトの声がかけられた。


「ようこそ『運命(ウルド)』の乙女。そして初めまして。」


 視線をやれば、シンプルな細工の施された手摺に肘をつき、こちらを見下ろす少年が一人。
 声をかけられたことで干渉を受け、再び能力が作動して情報が月獅の脳裏を流れる。彼の名前はロキ。自分と同じく柳乃朋美によって創造された、北欧の奸神。その実年齢は億を軽く超えている。
 その情報に驚きつつ、月獅は微笑んだ。


「初めまして。あなたのことはそれじゃあ『黄昏を呼ぶ者』とでも言えばいいのかしら。」


その言葉に、ロキは纏う闇の濃度を増し、嬉しげに笑みを深くした。


「へぇ、流石、我等が創造主が選んだだけの事はあるようだね。」


 『選ばれた』
 その言葉に月獅は瞼を伏せる。
 そう、自分と、この少年は選ばれてしまった。
 創造主である、あの少女に。
 世界を蝕む闇を祓う組織『天支』の
 同じく選ばれた者たちをまとめる
 『天上の玉座』に。
執筆:2006/09/14